見上げれば星は天に満ちて

というタイトルのついた、
いろんな人生のお話を集めた本を読んでいます。

浅田次郎選で集められた作品の数々。
そこに出てくる人びとは、いわば、
与えられた境遇に逆らわずに生きる人びと。

どうするのが「いい」のか考え考え、
それぞれが「いい」と結論した道を
選んでいく。

「いい」道はその人によって違うし
選んだ道が最善なのかどうかは
誰も決められない。
自分が選んだ道は他人から見れば良くないかもしれない。
選んだ時点で自分が「いい」と思うなら
それでいいとしか言いようがない。

「負けるが勝ち」のことも往々にしてある。
悲劇的に見える人生がほんとうに悲劇ともかぎらない。

ああ、生きるってこんなに苦しい。
ああ、幸せってこんなにいろんな形がある。

などと、慰められたり悟らされたりする本なんです。

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「目に見えないコレクション」

シュテファン・ツヴァイク「目に見えないコレクション」(『チェスの話』ツヴァイク短編集 みすず書房)

これは第一次世界大戦後、ドイツが疲弊していた只中のことです。

ひとりの美術商が、ザクセンにある田舎町を訪れます。
戦前に黙々と銅版画のコレクションを築き上げていたある男に会おうと。
つまり、そのコレクションが今では
おそるべき値打ちを持つようになったため、
買い叩こうというつもりを持って尋ねていったのです。

ところが、
当のコレクターの老人と、
最高の栄誉にも価する彼のコレクションとは
戦争前の状態のままではありえませんでした。

コレクターとしてこの上ないくらい純粋な愛を絵に注ぐ老人の姿は
現代(第一次世界大戦後ですが)の人びとが、
とうに忘れてしまったもののように思われました。

老人と彼のコレクションが置かれている現実を目の当たりにした美術商は、
田舎町を訪れた最初の目的を果たすことをやめて帰って行きます。

美術商が老人のもとから帰っていくに至り、
老人は少年のようにはずんだあかるい声で、
窓から身を乗り出して
『ごきげんよう、お大事に!』
とさけび、ハンカチをうち振るのです。
それは美術商にとって、
わすれることのできない光景となります。

どうか、この美術商が経験した稀有なストーリーを読んでほしいです。

現実が不幸に見えても、
人間は魂のうえで幸福になることができるのです。

抑制のきいた文体もなんだか好ましくて、
翻訳の大切さも思い返しました。

 

空いた時間に自然と始めることがほんとうに自分の好きなことなのかもしれない

台風できょうの予定が中止になりました。
さて、おうちにいられることになりました。
思ってもみなかった「おうち時間」。

机に向かってふと手がのびたのが
「歳時記」→「久保田万太郎句集」
くらしの中にいる人の一瞬をしみじみと写した俳句の数々。
いつも静かな感動をもたらしてくれる久保田万太郎の俳句です。

やっぱり今の季節のものをまず繰ってみる。

秋の雲みづひきぐさにとほきかな

番町の銀杏の残暑わすれめや(昭和14年9月7日、泉鏡花先生逝去)

きのふより根津のまつりの残暑かな

はつ雁の音にさきだちていたれる訃(昭和29年9月5日、中村吉右衛門、逝く)

秋風や水に落ちたる空のいろ

などなど、
それからそれへ読んでいくと、
いま自分がこうして生きているように
句の中にいるその頃の人たちの息遣いが感じられます。
その人たちがどんな家に住み
どんな服を着て
どんなことを思いながら暮らしていたのか
なんとなく思いを馳せます。

その思いを馳せるひとときが
わたしにとって
心が和むような時間になります。
それはむかしもいまも
人は小さなことで悩みながら生きていたんじゃないか
というあきらめでもあるし。
むかしの家並みや着物を想像する楽しみでもあるし。

だから人の息吹きが感じられる久保田万太郎の俳句がすきなんです。

塀について塀をまがれば秋の風

普通の人たちが運命に従って生きる、喜びと悲しみ

人間を50年やって、ようやくなんとなくわかる気のする「生きる悲しみ」。

生まれてからずっと、我が身の置かれた境遇で

日々を生きている普通の人。

暮らしのために苦しいことに耐え、いやなことをがまんし、

ときどき楽しみもある。

だけど、そうするうちに、ひょんな運命に巡り合って

のっぴきならない身の上に落ち込み、

とんでもない不幸なことになっていく人も少なからずいる。

モーパッサンの短編は、そうした人たちの話なのです。

どの話も、自分にも起こりそうな話。

この立場になったら、わたしだってこうするしかない。

そんな悲惨なことになるような、大それた人間じゃないのに、

ふとした別れ道から踏み込んでいってしまう闇。

 

少女時代にもたしかに読んだんですけど、

そのときは、遠い国の縁のない人々が主人公の作り話、

としか捉えられなかったように思います。

今読むと、

「あー、そうだろうな。わたしだってこうなる可能性はじゅうぶんある」

と、しみじみ思います。

 

「初雪」の新婚の若い女性とその夫など、

設定を少しスライドさせれば、今の日本でも、そこここで起こっています。

泣いたり喚いたりせず、

来年の今ごろ、自分は冷たい土の下にいるんだ、と

考える女性のあり方が、もどかしいけどかえって潔くていいです。

 

「マドモアゼル・ペルル」も、どこにでもいる中年の男女の

心の奥に深く秘めた感情が、しみじみと心に響きます。

なんでも思ったことを現実にするのが最善というわけではない。

我が身の置かれた場所で、流れを乱さない生き方ってものもある。

ある意味では大事件とも言える出来事から40年以上、

互いに相手を思い、毎日のくらしを静かにこまやかに営んできたある家族。

普通の家族とは違うけれど、それはなにほどのことでもない。

あの事件は、もうほとんど水面下に沈んで

それを知る人もほとんど向こう岸へ行ってしまった。

 

ああ、そういう秘められた感情も包み込みながら

普通の人の日常は過ぎて行くんだ、と思わされます。

 

 

いい作品を作り出した芸術家たちの側面

いろんなことに悩んだりするふつうの毎日。
ずっとむかしから人は、
こうやってちっちゃいことに苦しんで生きてきたんだろう、などと思う。
ちっちゃい自分の存在の中の、またまたちっちゃい出来事や人間関係にこだわりながら。
そういう生活の中で、
音楽や演劇や文学が励ましや癒しを吹き込んでくれます。
自分とはぜんぜん違う世界を表現した芸術であっても、
どこかで自分の存在を見直させてくれる部分があります。
また、そういう作品が自分にとっていい作品なんじゃないか、と思います。

で、いま読んでいる本は、
いい作品を作り出した芸術家たちと接して
直接話したり見たりしたことを集めた本です。
元産経新聞記者の人が著者。
小田孝治『ときめく美』ヒューマン
直接見聞きしたことを書いているので、
書かれた対象の人々の息遣いや人となりが伝わってきます。
書き手の姿勢がふつう(地位に対する特権意識がない)です・・

歌舞伎の幸四郎をじつはわたしはあまり好きになれないのですが、
これを読んで現代劇を見てみないと片手落ちだな~
なんて思いました。(今さら)

清元志津太夫は最晩年の舞台はわたしも見ました。
本文中に口調までところどころに写しているのが
微笑を誘います。

舞台照明の小川昇さんに
フランスの有名照明家ジャン・カルマンが弟子入りした話もいいです。
2日後に帰国する予定のとき、
小川さんの照明の舞台を見て、
頼み込んで弟子入りして一年間も修行したとのこと。
小川さんは
自分はただの裏方の一人で、弟子をとるような者ではないと断ったのを
カルマン氏があきらめずに頼み込んだのだそうで。
良い話です。

そういう逸話がいっぱい書かれてあって
いろんな分野の「求道者」たちの側面が
興味深いです。

 

昭和38年という年 『猿之助修羅舞台』を読みながら

3代目市川猿之助襲名披露興行が昭和38年5月に行われました。

祖父の2代目猿之助の当たり役『黒塚』を、

急遽、しかも、周囲の反対を押さえて

行うことになったそうですね。

弱冠23歳で顔にシワを描いて、

ゴマ塩の白の鬘で舞台稽古に臨んだときは

恥ずかしかった、と書いてあります。

大先輩がズラッと並んで見ている中での総ざらいの雰囲気は

さすがに忘れられない、とのこととか。

祖父・猿之助の生霊が乗り移って新・猿之助を

踊らせている、と言っていた人もいるそうですね。

また、観る人の心のせいだとは思っても、

「『舞台の袖のところに小太りの白髪の老人がいて、

私がよろけそうになると、その老人がスゥーッとそばに寄ってきて、

手を差しのべて、スゥーッと消えていった』」

とか聞くと、

ほんとうにそうだったろう!!

という気持ちになります。

祖父・猿之助が、病院のベッドの上に起き上がって

『黒塚』の上演中じっと合掌していた

という有名な話を聞くにつけても。

「感じをとれ」という踊りの稽古の様子とか、

役の中で、目線の動きがどういう気持ちでそうなっているか、とか、

そういういわば、「心」を、8年間いっしょに暮らすなかで

数え切れないくらい身体に染み込ませたことが、

この本に細かく書かれています。

芸に関係ない者にも、なんの分野にもあてはまることも多く、

「はーーっ」

「ううーーん」

と、感心して唸りつつ読み進めていく本です。

わたしは例によって1984年版の古本で読んでいますが、
文庫になってました。

 

 

本を読むと、自分の感性で判断できるようになる

子どものころから本をいっぱい読んでいると

人を見る目が広くなります。

そういう人が増えるといじめが減ります。

とくに子ども向けの本には、

変わった人・目立たなかった人・だめだと思われていた人

などが、実は

優れた人・卓越した才能を持った人・ほんとうの価値を知っている人

だったというストーリーの本が数多くあります。

そういう本に接して精神形成をしてくると、

「みんながばかにしている人は

ほんとうにばかにされるべき人なのか?」

と、自分の感覚を使って考えるようになるはずです。

みんながそうしているから

というばかな理由で人をいじめることはできなくなるはずです。

ほんとうの価値を自分の五感(六感)で見極める習慣が

本によって作られるのです。

だめだと思われていた人がほんとうはいちばん優れていたという話の一例

「イワンのばか」

「3つの宝」

生きていくのに何が人間にとって幸せをもたらすか?

という問いの答えは人それぞれ違う。

けれど、

他人の幸せのじゃまをしていいはずはない。

じゃまをすれば自分だけ幸せをつかめることはまずない。

相手が幸せになるのを助けることは自分にも幸せを連れてくる。

本を読むと、

そういう当たり前なことを当たり前だと思う感覚が

心の中に根付くんだなっ!

本を読もう。

「藝人たち」の人となりをにじませる『酒場の藝人たち』

戸板康二さんは、弟子をとらない方で、
年下の人たちのことは、「若い友だち」と呼んでいた。
にもかかわらず、みんながごく自然に戸板さんのことは「先生」と呼んでいた。
かなりの作家のこともさんづけですましていたベテラン編集者も、
「戸板先生」だった。

下咽頭癌の大手術をして声帯を失ったあと、
振動を音声に変える機械で会話していらっしゃった。
講演を兼ねた旅行で、
講演には登壇されず舞台そでで椅子に掛けていらっしゃったとき、
司会の永六輔が、短い挨拶を、と声をかけた。

それに応じて
女学校で教鞭をとっていたときのエピソードを披露。
受け持ちのクラスの教室に意見箱の設置を提案したが、
「戸板先生のことをドブ板と呼ぶのはやめましょう」
という投書が一通はいっただけに終わった、
というはなし。
会場は、この、機械音による「ちょっといい話」に大喝采だった。

後日先生は、
「なにかと引っ込み思案になっていた僕にこういう機会を与えてくれてうれしかった」
と夫人に話されたとのこと。

そのときの、
先生を呼び出した永さんのタイミングと応じた先生の態度、
「見事だった」という。

互いの信頼関係がうみだした雰囲気、
会場の人びとが共有したあたたか味、
などがあったからこその出来事だったのでしょう。

戸板康二さんの人となりが伝わるはなしで、
ご当人はもとより、まわりの人たちのようすも目にうかんでくるようです。
なんのことはない小さなエピソードなんだけど、
読み終わって涙がちょっとにじんでくるような、
いい話です。

いろんな藝人さんや関係の人びとにまつわる、
こういう場面をたくさん切り取って書いてある本なんです。

筆者が見ていた、筆者がその輪の中にいたはなしばかりで、
実感こもり度でバツグンす。
どこを切り取るかで、
筆者のお人柄も じわじわとにじみ出ていて、
読み応えあります。

人と交わるなら、こんな交わりをしたいなー、
と、つくづく思います。

時がたつとわからなくなるもの お芝居のセリフ

『四谷怪談』序幕 浅草寺境内額堂の場で、

「藤八五文奇妙」(トオハチ ゴモン キミョウ)

というセリフがある。

昭和24年に出たとき、その場が上演されるのは明治10年以来(!)で、

いったいどんな意味なのかわからない。

したがって

軽快に言うべきか、ゆったりと言うべきかも

見当がつかなかった。

そういうとき、どうするんだろう?

『日本随筆索引』で調べた人がいた。

八代目三津五郎だ。

すると、続飛鳥川という文章の中に

「藤八五文奇妙という薬売り、藤八は甲州の生まれで日本橋中橋に家を持ち

藤八五文奇妙といいながら売り歩いた。

鶴屋南北が『東海道四谷怪談』で

幸四郎の直助権兵衛にこの薬売りの役をやらせ、

又々評判になった。」

とあった。

そのほか、『甲子夜話』『続随筆索引』にも

それぞれ記述を見つけたという。

そして、このセリフが、初演のとき、

そのときの幸四郎と七代目團十郎の

楽屋落ちを舞台で言ったものだとわかった。

 

初演時には、みんなが当たり前にわかったギャグが

後世の人には皆目理解不能になってしまう。

 

売り声などもそういう例だ。

清元や小唄にかろうじて残っているのを喜ばなければならない。

 

また、「バレ句」は、もともとわからないように作ってあるものとはいえ、

時間がたつとさらにわからなくなる。

忠臣蔵八段目の

「ししきがんこうがかいれいにうきゅう」って????

坪内逍遥博士も高野辰之博士もすでに不詳と書いていた!

それを名古屋の尾崎久弥氏が『江戸軟派雑考』で考証しているということに

行き着くほうも行き着くほうだね・・

八代目三津五郎の読書ってどんなだったんだろう?

ちなみに上の「ししきがんこう・・・」は

「紫色雁高我開令入給」のことで

猥本の檀浦軍記の中の「バレ句」である、と書いているそうです。

つまり、戸無瀬が小浪に性教育をしているところへ

奴が通りかかり猥談をしていたということなんだそうな。

漢詩風のバレ句には

虎竜一番知唐薯矢張奔馬醉准南(こたつで一番しりからしょ、やっぱりほんまがよいわいな)

なんてのがある。

八代目三津五郎『いわでものこと』

国木田独歩「画の悲しみ」、日の光が明るければ明るいほど悲しみが増すこと

ともに絵を描くことが好きで得意な二人の少年、岡本と志村。

一緒に写生をしたことをきっかけにほんとうの友だちとなって

中学校に進んでも寄宿舎でともに過ごしていた。

しかし、志村は事情あって故郷の村へ帰り、

岡本は東京へ遊学。

数年たって岡本が故郷へ帰ってみると・・

 

ごく短い話なのですが、読む者にしみじみとした感慨を残します。

年月の流れとともに、止むことなく移ってゆく人の存在と

あの日と変わらぬ日の光を浴びる山河。

この対照がいつも人の心を動かしてきたと思います。

 

考えてみれば映画やドラマなどでも、

「ああ、あの人がここで笑って立っていたっけ」

「ここを毎日通ったけど、もう通ることもないんだ」

という感動が作品に深みを与えることって多いようです。

泣かされるのもそういう場面。

 

「画の悲しみ」を読んで思い出したけど、

本を読んでいて

「思わず読み返したくなるフレーズ」ってありますね。

もう一度味わわずにはいられない部分。

この作品の最後のところはまさにそれでした。