この世の中どうしようもないこともある 『小川未明童話集』

「赤いろうそくと人魚」は有名だから読んだ人は多いかもしれない。

けど、小川未明はほかにもたくさんの童話を書いている。

角川春樹事務所発行のハルキ文庫版『小川未明童話集』の
巻末エッセイで
森絵都さんが書いているように
「淵にはまる」という例えがぴったりくる
未明ワールド。

人の力ではどうしようもないことが
この世の中には起こるんだ
と思い知らされるお話も多い。

切ないお話。
かわいそうなお話。
多い。

筆致が柔らかくやさしいだけに
なおさらに哀しくかんじられるお話の中の空気。

弱い人、貧しい人に
太陽のではなく薄くて清い月の光を当てたようなお話の世界。

子どものとき読んだのと
大人になってから読んだのとでは
違った感じが残るでしょうけれど、
これを読む人が増えると
相手の立場を思いやる人が増えるんじゃないでしょうか。

ハルキ文庫の千海博美さんの装画挿絵すてきです。

絵本ってそもそもなに? 『絵本よもやま話』

福音館書店 こどものともの『かさじぞう』の画家
赤羽末吉さんが
絵本について
自分のたどってきた道や考えを書いた本
『絵本よもやま話』。

西荻窪の古本屋 〈トムズボックス〉さんで書いました。

中国の大連で運送屋の小僧をやっているとき
街の古本屋で見つけた
「コドモノクニ」。
表紙が初山滋の絵だったその本で
心とからだに灯りがともったそうだ。

その辺りが絵本との出会い。

『かさじぞう』を描いたころの経緯が
書いてある。
毎年、小正月の10日間ほど、
雪国をさまよってスケッチ、
雨の日は写真。
そのころ、
茂田井武の『セロひきのゴーシュ』に出会ったそうだ。

感動のあまりその出版社 福音館書店の松居直氏に手紙。
瀬田貞二氏の『かさじぞう』をもらった。

中国大陸で暮らした経験からくる確信が
その絵に表現されていることが告白されていて
非常に感動的かつ納得です。

すなわち、
日本の美しさは、
湿気の美しさ、
陰りの美しさと判断したこと。

あの『かさじぞう』では、
その湿気が表現されて必然的に墨絵になったのだと。

絵本ってそもそもなに?
という話は、
読んでみると
ふだん何気なく絵本というものを
手にとってスーッと読んでいる私には
考えさせられるし、考えたくなるテーマのような気がしてきます。

一部の物語絵本は、
原作を絵本の枚数に合わせてチョンチョンと切り、
その下に挿絵をつけたにすぎないという。

しかし、当時、
これからの若い人はレオ=レオーニのような創作絵本にゆくだろうし、
物語絵本も、
絵本でなければできないおもしろさを持つようになるだろうから
そういうワクはなくなるだろう
という。

つまり、みんな創作絵本のようになるだろうと
そのころ赤羽さんは、若山憲さんという
雑誌「月刊絵本」の人に話したそうだ。

だが、実は若山氏のほうは、
絵本は、より単純な内容で
視覚的に展開する「ヒラメク絵本」こそが
純絵本というべきだと考えていたらしい。
文学に頼らず、絵だけで展開し理解させるのこそ
「純絵本」と言うべきだと。

それに対し、赤羽さんは、
それまで既に長い間、
優れた文学と絵との結合は、
子どもの心にどれだけ暖かい響きを残したことか
というのだ。

結局、絵本という花は
いろいろな形で、いろいろな色で
豊かに咲かせてほしいと
赤羽さんは言っている。

完成された文学を絵本にしないほうがいいといっても
斎藤隆介・滝平二郎の『八郎』や
宮澤賢治・茂田井武の『セロひきのゴーシュ』
の絵本は
あったほうがよいにきまっていると考えると
言っている。
ほんとにそうだと思う。

今では、この本が出たころとは比べものにならないくらい無数の絵本が
世の中に存在する。
絵本を心で味わい多くの感動をくみとっていきたいと思う。

最後に、赤羽さんの名作、
大塚勇三作『スーホの白い馬』の表紙絵について
絵本が与える感受性の醍醐味を感じる逸話がある。

幼稚園の子どもが表紙を見て
「スーホは白い馬がかわいくて、そうっとだいてやっているんだね」
と、言ったことだ。
スーホの指先の表情までシカと読みとっていたのだ。

この本を2週間も持ってていいんですか? 『希望の図書館』

表紙に黒人の少年が描かれているので、
人種差別系の話なんだろうなー と
予想され、
ちょっと読み始めるのが億劫になる面あると思う。

まあ、人種差別系のことは物語の根底に
流れてはいるんだけど、
それを覆ってあまりある空気があるので
私にはすっきり読めました。

シカゴが舞台で、南部アラバマから来た
少年ラングストンのことを
南部のいなかもの とからんでくるワルガキたちもいるけど。

彼ラングストンは賢く、そんなワルガキを
父さんに言われたとおり、
相手にしない。
図書館で借りた大切な本を破られるまでは。

最初にシカゴ公共図書館の立派な建物に圧倒されて
入り口に立ち尽くしていたラングストン少年に
「ご案内しましょうか」と声をかけたのは、
司書らしき女の人。
「本を扱う世界の人は、偏見から自由である」

「どれでも好きな本を、借りられますよ」
と、女の人はやさしく言った。

その日、ラングストンは閉館時間になるまで
夢中になって
詩の本の言葉を追いかけて家に帰り、
次の日、いよいよ自分の貸出カードを作り
本を借りたのです。
そのとき言った言葉が
「この本を2週間も持っていていいんですか?」
です。

それは、自分と同じ名前の詩人が
書いた言葉で満たされた本で、
ラングストンは、
ふるさとを思い出してせつなくて
先を読み進めなくなるくらいだったのだ。

彼には詩人がマジシャンに近いように思えた。
だって、
自分の心から、自分でも気付いていなかった言葉を引き出してくれるから。

それまで、学校から帰って部屋に
1人きりでいるのが嫌だったけれど
初めて
ひとりぼっちがうれしかった。
彼には本があったから。

物語の終わりのほうで
本のことを人に話すことで
互いを近く感じる日がくる。
友だちと言える相手を見つけるのだ。

ラングストンは、詩の本を読んでいると、
だれかがぼくだけに話しかけている感じがする
という。
ぼく以外のだれかが、
ぼくのことをわかってくれている感じがすると。

それまで、本を読むことなんて
男の子がすることじゃないと言っていた
ラングストンの父さんが、ある日
おれを図書館に連れて行ってくれ
と言った。
それも、土曜日の買い出しの日に
きょうは寄るところが一つ多いから急げ
と、ラングストンを急かして恥ずかしそうに。

天国に行った母さんが導いてくれたすばらしい場所。

ラングストンが
ラングストンという自分と同じ名前の詩人と
自分自身と
実は苦しみや悩みを抱えて生きていた友だちと
出会った場所。

本、
図書館を建てるのに尽くした人たち、
そこで働く、本はすばらしいって知らせてくれる人たち、
そういうものに出会えるのが図書館なんだ。

子どもたちを読みたくさせるしかけが満載 『図書室の日曜日』

小学生が楽しく読める本を紹介したいとき、
このシリーズうまくいきそうです。

ここ読んで聞かせたら
読みたくなるだろうな〜
という箇所がいっぱいある。

だいたい、設定が面白いしね。

いたずらで顔を描かれたのっぺらぼうと
水戸黄門、助さん、角さん、
お供を5人連れた織田信長が、
図書室で出会って

いたずらがきをした犯人を探しに
『ようかい大百科』の中へ入っていくんです。

田中六大さんの絵がまた、
明るくて、細部まで見たくなる丹念さで描き込まれてます。

日曜日シリーズ、学校のいろんな部屋のお話があるので
子どもたちも、みんな読みたくなるでしょう。

下手くそな字で書かれた謎の手紙を出したのは? 『おともださになりま小』

『おともださになりま小』なんて
まちがった字を書くのはだれでしょう?
1年生?
それもどんな1年生?

ハルオは朝、学校へ行くとき、
いつもケンタとリョウくんと3人で行くんだけど、
その日に限って、2人は先に行ってしまった。

ハルオは、「待ってー!」
と呼びながらいつもの道を
走って2人を追いかけていると
なんだかまるで違う道のように見えました。

それでもやっと学校に着いたのですが。

その日ハルオに起こったことは、
それから何日かして
やまびこ小学校の子どもたちみんなに届いた
謎の手紙によって
解き明かされることになります。
手紙は、とても下手な字で書かれていました。

読後感がいいミステリー『本の町の殺人』

殺人事件なんだけど
読後感が悪くない。

事件が起きるんだけど
その謎解きだけの展開ではない。

登場人物が多すぎなくて、関係も複雑でない。
(特に翻訳ものの場合、人の名前を覚えるのにひと苦労しますからね)

それに、人物がよく描きこまれているので
一人一人が生きていて共感(反感)しながら読める。
これは小説を読むのに大事な要素だと思います。

だから、読書好きな大人でも
物足りなさを感じずに読めるし、
一方、普段あまり小説読まないという人が
ライトな感覚でも読めるミステリーだ思います。

本の町は、東京なら神保町だけど、
このミステリーのモデルになったのは
英国ウェールズのヘイ・オン・ワイという町だそうです。
それまでの産業が廃れたところを
本の町として再生したそうで、観光客も集まってくるそうです。
(訳者あとがきより)

主人公のトリシアもそういう町の
しかもミステリー専門の本屋を営む女性。
ニューヨークで楽に暮らしていたが
離婚を機に本の町に来たという境遇。
〈ハブント・ゴット・ア・クルー〉という店名もかっこいい。

友達になりたい人はこの人とこの人と・・・
と思える空気を持つミステリーです。

あ、大事なことを言い忘れました。
表紙にもいる飼い猫のミス•マープル!
(この本は、猫の本専門店キャッツミャウブックスさんで購入しました。
主人公が飼っている猫ゆえに仕入れられたのですから
その縁で私はこの本に出会ったというわけです。)
ミス・マープルの存在感も大事な要素となっています。

12歳の子は大人より純粋な大人だ 『ミスターオレンジ』

ライナス・グレゴリウス・ミュラー。
一番上の兄が18歳で戦争に行き、次の兄シモンがやっていた配達の仕事を引き継ぐ。ライナスの家は八百屋なのだ。

ライナスは、戦争が何かは知らないが、兄は、自分のしたいことができる未来のために戦いに行ったのだと考える。

オレンジの配達で訪れる家の画家は、戦争が始まった後、ヨーロッパからアメリカに来たという。戦争が終われば世界中が変わると信じて。
戦争は自由な想像力を許さず、兄の友人をはじめたくさんの人の命を奪う。

手紙で登場する兄、父母、画家、絵が好きな兄が作った漫画のキャラクター・ミスタースーパー、友人・・・。戦争が影を落とすニューヨークの街で毎日を暮らすライナスの考える内容は、非常時であるだけ、半分大人であるだけ、とても純粋で、そして、まっとうだ。

読者は我が身を振り返ったり心洗われたりする。

例えばこのような言葉。
今、自分がしていることは、自分の役には立たないかもしれない。ずっと未来に役に立つことのために働くこともある。

ちなみに、ミスターオレンジは、オランダ生まれの画家ピート・モンドリアンのことだという。

ささえてると思っていたらささえられていた~『口で歩く』

あなたは、他人にささえられていますか?
と聞かれたら、
「?」
と、一瞬答えにつまるかもしれない。
はっきりささえられている部分はここ、
と意識することは普段あまりないもんな。

理屈では一人で生きてるわけじゃないって思っても。

あとがきにある。
生まれつき目も見えず口もきけず、手も足も動かせない少年。
母はいつも話しかけ、
姉は絵本をたくさん読んでやり、
父や兄は外へドライブに連れて行ったりしていた。
少年が短い一生を終えたとき
家族は、
それまで少年をささえていたように思っていたが
自分たちがささえられていたことを知る、
と。

「口で歩く」タチバナさんは、
歩けないので、
長い足のついたベッドのようなものでたまに外へ出かける。
そうして、だれかが歩いてくるのがミラーにうつったら
その人に話しかけて車を押してもらって移動するのだ。

その日最初にミラーにうつったのは学生さんのようです。

「すみませーん!」
と声をかけると、初めはいつもそうであるように
びっくりした顔で立ち止まりました。

いやな悲しい思いをすることもあるけど、
出会いに感謝する良いこともある。

誰もが、まわりにいる大ぜいの人たちとつながって
ささえ合う輪の中で暮らしている。

足で歩いていると気付かないまわりのひとの心の声が
口で歩くタチバナさんには、
聞こえやすいみたいです。

質問することは人間が持つ最重要ツール 『たった一つを変えるだけ』

この本、自分が学生の頃に読みたかった。

私はこういうことをまるで知らずに学校を出てしまった。
思えば自分はどんな仕事がしたいのか、とかも考えず、
就職のときには、どの会社に行くかぐらいしか考えなかった。
愚かでした。
しかし、昔はそんなもんでした。
キャリアカウンセリングとか、受けたかったな~~(泣)

という後悔と愚痴はまあ置いといて。

質問する力がだいじだとはこの頃叫ばれている。
いろいろ本も出ている。
この本は、その種の本の中でも
質問力の大切さと
どうやってその力をつけるか、つけさせるか、をかなり上手に伝えていると思う。

自分で作った質問だからこそ、
生徒たちは、前向きに、しかもいろんな方法を考えて答えを出そうとする。
質問されたら、もうそれは
先生から与えられた課題であって、
いやいやながらおざなりな答えで済まそうとする姿勢になる。
しかも、正解か不正解かで評価されるだろうという予測もついてくる。

いろんなことに「?」を持って
それを解決しようとする姿勢が
より良く生きることにつながるのです。

「クラスも教師も自立する」とはありますが、
教育関係者だけじゃなくて普通の大人も
この意識を持つか持たないかで人生が変わるんじゃないかと思える。
大人もまだ間に合う!
より良く生きる第1日を踏み出したいもんです。

ロボットと野生の接点とは? 『野生のロボット』

けっこう分厚いんだけど、
章立てが細かく、80にも分かれているので読み進めやすいのです。
そのうえ、ページごとにあるかと思うくらいたくさんの挿絵が
分厚さを感じさせません。

題名を見ても最初の一瞬は不思議にも思わない。
次の瞬間に、ロボットって野生になれるんだっけ?
という疑問がわいてくる人もいるでしょう。
私の場合は、かなり時間がたつまでその疑問にすら
行きつきませんでした。

貨物船が沈没して積荷のロボットが海に投げ出されたんです。
好奇心旺盛なラッコが、全ての事の始まりを作りました、意図せず。
そして、ことは展開していくのです。
野生には悪意はなく、そして野生は残酷でもあります。

けれど、絆はだんだん育っていきます。
だんだん育っていくもんなんですね、絆は。
時間をかけて少しずつ。

接点がないはずの野生とロボットが「心」を通わせるのは可能なんでしょうか?
児童書に分類されていますけど、
大人も味わって読みたい世界が形成されています。