ロボットと野生の接点とは? 『野生のロボット』

けっこう分厚いんだけど、
章立てが細かく、80にも分かれているので読み進めやすいのです。
そのうえ、ページごとにあるかと思うくらいたくさんの挿絵が
分厚さを感じさせません。

題名を見ても最初の一瞬は不思議にも思わない。
次の瞬間に、ロボットって野生になれるんだっけ?
という疑問がわいてくる人もいるでしょう。
私の場合は、かなり時間がたつまでその疑問にすら
行きつきませんでした。

貨物船が沈没して積荷のロボットが海に投げ出されたんです。
好奇心旺盛なラッコが、全ての事の始まりを作りました、意図せず。
そして、ことは展開していくのです。
野生には悪意はなく、そして野生は残酷でもあります。

けれど、絆はだんだん育っていきます。
だんだん育っていくもんなんですね、絆は。
時間をかけて少しずつ。

接点がないはずの野生とロボットが「心」を通わせるのは可能なんでしょうか?
児童書に分類されていますけど、
大人も味わって読みたい世界が形成されています。

人とのつながりが喜びをつれてくる 『ちばてつや自伝 屋根うらの絵本かき』

敗戦がわかって
旧満州の奉天で、安全な場所をさがして逃げる途中、
父と同じ会社で働いていた中国人、徐集川(じょしゅうせん)さんに
ばったり会い
物置の屋根うら部屋に住まわせてもらった。

この偶然がなければ、
ちばてつやさんが漫画家になることはなかったかも、と言う。

徐さんだってもし日本人をかくまっていることがわかれば
大変なことになるわけで、
命がけとさえ言える。
それでも、仲良くしていた日本人の家族をなんとか
逃してやりたいと、屋根うら部屋においてくれたわけです。

「日本人」とか「中国人」とか
一般名詞として全体を考えるだけだと反感を持つかもしれなくても
「ちばさん」「徐さん」という
知っているその人、となると、べつの感情がわいてきます。

ちばてつやさんは漫画家として有名な人ですが、
有名になるまでの、また、有名になってからのも、
いろんな失敗や苦い思い出や悔しい思い出も書かれていて、
そこがいいです。

冷たい人、騙すようなことをする人もいる。
いっぽうで、
連載が2つ重なって、一つを途中で人にまかせてしまったとき、
最終回にちばさんの名前も入れて
「あつくおれいをもうしましょう」と書いてくれた編集者の人の気持ちに
涙が出た、、という話がある。

そういう人のおかげで、漫画家ちばてつやさんがあるんだな、と。
有名な人でなく、わたしたちの人生のまわりにも、
いろんな人が現れては消えていく。

いやなことも多いけど、
喜びをもってきてくれるのはやはり、
人とのつながりなのかもしれないな。


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みんな秘密を抱えて生きている

「できることはできる、できないことはできない
って自分で区別すること。」
美容院のナオコ先生が12歳のまゆ子にこう言う。

実践するのがむずかしいけど、
気持ちが楽になるという面もある。

がんばっちゃう人、
自分でなんとかしなくちゃと思いすぎる人には
妙薬になる言葉かもしれない。

そういうナオコ先生自身も、
まゆ子となかよしになった年上の女の子サワちゃんも、
サワちゃんと血のつながってない弟の颯太も、
まゆ子の母の里美さんも、
みんな、今までに人には話しずらい秘密を抱えてる。

すっからかんに秘密のない人なんて
つまんない!
ぐらいに思って、
自分の過去の暗さも今の悩みも
そういう中のひとつに過ぎないんだな、
という気になったりします。