人間を50年やって、ようやくなんとなくわかる気のする「生きる悲しみ」。
生まれてからずっと、我が身の置かれた境遇で
日々を生きている普通の人。
暮らしのために苦しいことに耐え、いやなことをがまんし、
ときどき楽しみもある。
だけど、そうするうちに、ひょんな運命に巡り合って
のっぴきならない身の上に落ち込み、
とんでもない不幸なことになっていく人も少なからずいる。
モーパッサンの短編は、そうした人たちの話なのです。
どの話も、自分にも起こりそうな話。
この立場になったら、わたしだってこうするしかない。
そんな悲惨なことになるような、大それた人間じゃないのに、
ふとした別れ道から踏み込んでいってしまう闇。
少女時代にもたしかに読んだんですけど、
そのときは、遠い国の縁のない人々が主人公の作り話、
としか捉えられなかったように思います。
今読むと、
「あー、そうだろうな。わたしだってこうなる可能性はじゅうぶんある」
と、しみじみ思います。
「初雪」の新婚の若い女性とその夫など、
設定を少しスライドさせれば、今の日本でも、そこここで起こっています。
泣いたり喚いたりせず、
来年の今ごろ、自分は冷たい土の下にいるんだ、と
考える女性のあり方が、もどかしいけどかえって潔くていいです。
「マドモアゼル・ペルル」も、どこにでもいる中年の男女の
心の奥に深く秘めた感情が、しみじみと心に響きます。
なんでも思ったことを現実にするのが最善というわけではない。
我が身の置かれた場所で、流れを乱さない生き方ってものもある。
ある意味では大事件とも言える出来事から40年以上、
互いに相手を思い、毎日のくらしを静かにこまやかに営んできたある家族。
普通の家族とは違うけれど、それはなにほどのことでもない。
あの事件は、もうほとんど水面下に沈んで
それを知る人もほとんど向こう岸へ行ってしまった。
ああ、そういう秘められた感情も包み込みながら
普通の人の日常は過ぎて行くんだ、と思わされます。