君子の交わり淡きこと 『日本の鶯』


堀口大學聞き書き『日本の鶯』という本、読んでます。
関洋子さんのお仕事。
歌舞伎役者さんのことを書いた本を数冊、おもしろく読ませてもらってた方。

堀口大學って、萩原朔太郎のことを「萩原くん」って呼ぶような古い(?)人だったのか・・

最初のほうですでに何箇所も、共感したり、驚いたりする内容が多くて、
じっくり読んでなかなか前へ進まない、っていう状態です。

中で

「君子の交わり淡きこと水のごとし、
小人の交わり甘きこと醴(れい)のごとし」

という言葉が紹介されていて、「したり」なんて感じ入ったりしました。

佐藤春夫が、
太宰治に泣いて頼まれて
「東陽」という雑誌に原稿をとりもってやったとき、
「不変の敬愛」とか「命かけての誠実」とか「大恩人」とかいう言葉で
言ってこられるのを
小うるさく感じて挙げた古人の言葉なんだそうですが。

醴は甘酒のことで、
小人の交わりはベタベタと甘いばかりだと言っているそうです。
わかる~
とても賛成する~

佐藤春夫は太宰治を嫌っていたわけではなく、
むしろ文学青年として深く思いやり、
面倒をみていたことは確かだけれど、
ときにうっとうしかったというわけで。

だんだん人間をやってる期間が長くなってくると、
自分より年少の人々の言動がうっとうしく、青臭く感じることが
ままあります。
それでも、自分も以前はあんなふうに不愉快な代物だったんだろう、とか
あと十年二十年すれば彼らも相応に分別くさくなったりしていくんだろう、とか
思ったりしますけど。

大學さんと佐藤春夫も、二人でそんな話をしたことがあったと書いてあります。
というよりは、佐藤春夫が、太宰治のことを
不勉強で生意気で人の気心を知らない、ひとりよがりで人を人とも思わぬ、
そのくせ自信のまるでない・・・
とか言って止まらなくなっていたのを、
大學さんが上のような内容を言ってなだめる、という場面が紹介されています。

今の若いもんは・・は太古の昔からのくり返しなんですからねー。

で、
「君子の交わり淡きこと水のごとし」
には、はなはだ共感します。
比べるべくもないけど、
わたしも日常の付き合いはこれに限ると思っているほうです。

ちょっとベタついてくると、すぐに離れたくなるたちで。
そんなとき
「サヨナラだけが人生だ」
という言葉を心の中で勝手に誤用させてもらっています。
井伏ファンならだれもが知っているフレーズっていうのが
いくつもあって、そのひとつかな。
あと代表的なのが、
「ところが会いたい人もなく
阿佐ヶ谷あたりで大酒飲んだ」
っていうところか・・

名文句・名セリフは、
いろんな局面に応用できるのが名文句・名セリフたる所以ですね。

グラス詩画集『蜉蝣』についての文章で蕎麦屋で一合のお酒なんか飲みたくなる

ギュンター・グラスが詩画集『蜉蝣』を出版したことについて、
ある方から聞いて知りました。
そして、その方が朝日新聞に書いた文章を
読ませていただきました。
ドイツ文学について、昔かじったことがあるけれど、
もう縁もゆかりもなくなって30年も経ったので、
読んでもわかる自信なし・・。
でも、日本語なので、いちおう「読む」ことはできたというわけで。

『蜉蝣』のなかには、
「老人になって思い出す自身の過去への感慨がある」
と、書いてありました。

この「感慨」は、もっと詳しく言えば、
後悔というほどではないけど、
渋面になったり、
口元を軽くへの字に曲げたりする種類の
「感慨」なのかなー、と思います。

老人でなくても、わたしくらいでも、
これまで生きて来たなかにいっぱいあるその種の「感慨」。

だけど、そのときそのときで、一所懸命考えて判断してしたことだから、
そんなに自分を責めないでもいい。
現在の自分の身の日常茶飯事に触発されて
過去のたくさんの判断を
訂正しようか、と反省したりしなくていい。
自分の過去へのそういう対し方を
「哀愁」と思わなくたっていいじゃないか、っていう気がする。

そのあたりについて、
少しのお酒と少しの肴とともに、
あっさりと話し合えるような人と、ひととき過ごしたい、
なんて思わされる文章でした。

年の暮れは、芝浜・掛け取り、久保田万太郎

サライの付録に落語のCDがついていました。

志ん生の「芝浜」

円生の「掛け取り」

年の瀬の噺ということで季節を楽しめる内容。

はや年も暮れてきました。

年の瀬の雰囲気を味わえる文学は、

久保田万太郎・・

年の瀬をはじめ、冬のイメージがあります。

なんとなく寒々しい明治大正の浅草あたり。

酉の市の様子なんかが描かれたり

着ぶくれた姿で火鉢に当たる市井の人たちが

行き交っていたり。

きのうは冬至。

ちょうど柚子もあったことだし、

うちでも柚子湯にはいりました。

それで、かぼちゃも前の日に安いから買っておいて

ちょうどあったので、食べました。

今回は、ブログで行き来のあるoishippoさんの

トマト缶とサバの水煮缶のお料理にかぼちゃを入れちゃいました。

けっこういけました!

むかしなら、

「日毎に霜はいよいよ白い」

っていう時節ですね。

久保田万太郎作品を上演している

「みつわ会」公演。

今度の三月は

「雨空」

「三の酉」。

都合とお財布が許せば行きたいと思っています。

で、久保田万太郎の俳句集を広げて

どれか年の暮れの句をひとつふたつ載せよう、

と思ってページを繰っていると、

いつの間にか

どんどん句を読み進んでいき、

ブログ記事をアップするまでに

ひどく時間が経過してしまうのでした。

久保田万太郎の年の瀬の句から

ゆく年やしめきりてきく風の音

ゆく年や蕎麦にかけたる海苔の艶

久保田万太郎の句や文章からは

さびしくて美しい、ふつうの人々の息づかいが

伝わってきます。

そこに惹かれていつも心の底にそのトーンを持っています。

 

がんこさがまた気持ちいい

高峰秀子さんの本はいくつか読んだことがあって
いずれもエッセイのような本だったと思うが、
これは
『人情話 松太郎』
という題名だった。

小説か脚本のような題名だし、なんだろう? と思って買った。
そうしたら、川口松太郎と著者の対話形式になった
聞き書きとも言うべき内容だった。
川口の話を江戸風の口調をそのままに記録したい、
という意図で成った産物らしい。

いろんな話の中で、
昭和21年に撮影された(途中までされた)
阿部豊監督、池部良の丑松、高峰秀子の志保の
『破戒』という幻の映画があったことに話が及んでいた。

60人余りのスタッフと俳優たちが、
長野県の善光寺に近い宿屋に陣取って撮影に精出した。
監督も相当なねばり屋だったが、
小原穣二カメラマンがそれに輪をかけたスゴイ人で、

 

「あの山の上に、ポッカリと白い雲が出ないうちは、カメラをまわさないからな」

 

とカメラの後ろに腰をおろして腕を組んだまま

ちっとも動かなかった。

何日待っても「ポッカリ雲」は出ず、

それを待っているうちに、

丑松と志保のラブシーンの背景になるリンゴ畑のリンゴが

一つ残らず地面に落ちてしまったんだって。

 

それから後のロケーションにはいつも

助監督さんが果物屋をかけずり回って買い集めたリンゴの箱が

現場にうずたかく積み上げられていて、

スタッフみんなは言うに及ばず、

白絣に木綿の袴の丑松も、桃割れ姿の志保も

撮影前の小一時間ほど、

リンゴを木にぶら下げる作業で忙しかったんだって。

そうこうするうちに、東京から

ゼネラルストライキだから即刻引き上げるように電話がはいって

『破戒』は立ち消えになってしまったのだそうだ。

見たかったねー、その映画。

 

監督あるいはカメラマンのこだわりようは、今もあるようで、

たしか、『武士の一分』で

敵討ちの場面のとき、

山田洋次監督が、

風が周囲のススキを揺らす、

その揺れ方が丁度いい感じになるまで撮影を進めなかったとか、

聞いた気がします。

画面の効果としてだいぶ違うんでしょうね。

全然揺れないのとか、大風すぎるのとは。

 

話者二人は、永年演劇界、映画界で

いろんなことをくぐり抜けてきた苦労人というべき人たちだけあって、

それぞれの話がおもしろいのと、

それぞれの生き方がにじみ出ていて

がんこさがまた気持ちいい域に達しているようです。

 

敢えて「愛」なんて言葉は使いたくないほどウツクシイ 『三文役者あなあきい伝』

殿山泰司『三文役者あなあきい伝』ちくま文庫
を読みました。
殿山さんは89年に亡くなってるんですね。
まだまだ私なんかいろんなことがわかってなくて
いい気になってたころだな。
映画やテレビに出てたのは覚えている。
文章に気負いがないというのか衒いがないというのか、
なかなかそうはなれない書き方だと思う。
どうしても自尊心が文章のはしばしにでちゃう書き手が多い。

それで、泣けちゃうところがあちこちに。
一人っきりの肉親である弟さんは昭和20年、ビルマで戦死した。
いつも兄である筆者のことを
「タイチャン!!」
と呼んでいた素直でかわいい弟。
筆者の代わりに家業を継ぐことになって、
察するに、そのときに人生のいろんなことを諦めた弟。
ずっと後年、映画の仕事でバンコクへ行ったとき、
筆者は知り合った在留邦人のひとに頼んで
車でビルマとの国境へ連れて行ってもらった。
「戦場にかける橋」の鉄橋のあるところだ。

河の向こうに、弟が死んだビルマがあった。
それは茶色っぽい平原であり、
その遙か向こうに芝居の書き割りのような山々があった。
筆者は声を限りに
「コウチャン!!コウチャン!!」
と弟の
名を叫んだ。
叫ばずにいられなかったのだ。

その描写のあとに続く
「お笑いくだされ諸兄姉よ。だけどねミナサン、・・・」
以下の文章は名文です。
真実、心からの叫びを文章で表すのは至難だけど、
それのできる人なんだな〜〜
ウマイ!ウマイんです!!
何度読んでも泣けます。
なんという兄弟の結びつきだろう。
敢えて「愛」なんて言葉は使いたくないほどウツクシイのです。
この本、おすすめです。

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