ぜーったい直らなかった「さびし好き」 『素顔の久保田万太郎』

素顔の久保田万太郎

「雨垂れ文学」と揶揄された「・・・」を
使いたくなる気持ちがわかるような気がして。
また、牡丹の花の対極にあるという意味で
秋の草みたいな人だと思われていたのも共感できる気がして。
なんとなしに久保田万太郎作品を友として
ぬくぬくと過ごす、冬ごもりが好きな性分です、わたし。

こんど、俵元昭『素顔の久保田万太郎』を初めて読みました。
知っていたこと知らなかったこと、ありました。
明治39年、慶應義塾の普通部に通っていた少年のころからの友人
林彦三郎氏を中心とする、親しかった4氏が座談したものを文章にまとめたもの
とのこと。
ひどい目にあったことも数限りない友人であり
どんな人だったのかを人間性全部ひっくるめて知っている人の物言いです。

昭和49年、久保田万太郎歿後10年のとき、
人間久保田の一面の肖像を明らかにすべく口述したうち
「三田評論」に載らなかった部分が6,7倍もあった。
そこにも久保田の表裏を物語った内容が多く
埋もれさせるのは忍びないことから
久保田万太郎終生の友人として
林氏が俵氏にまとめてもらうことを諒解したものです。

共通に知る友人知己にも参照してもらい信憑性のある事実となっています。

落第したのを苦に慶應に転校したことが機縁となって
文学を志すことになるところ、
人生わかりません、っていう格好の例です。

久保田が島崎藤村を意識していたらしいことは
知らなかったような。
林さんも、それはよくわかりません、と言っています。
「わからない」というのは
なんで藤村なんか意識したのか理解できないという意味か
なぜなのか理由はわからないという意味なのか?
両方みたいです。
藤村を嫌う人はけっこう多い気がします。
『新生』にあるような罪を犯しながら
また、家族を犠牲にしながら
しかつめらしい顔をしているからか。
文体的には、まじめくさった感じというか、
そんなところに万太郎は惹かれたのかな、っていう気はします。
猥談みたいなことが大嫌いだった万太郎の
そんな面からして。

志ん生と文楽の逸話もおもしろいです。
志ん生が万太郎のことを「あんなわからず屋はいない」
と言うのでわけを聞くと、
志ん生がした廓噺に新内が出てきて
それを聴いた久保田が
吉原には新内がない、と言ったのです。
すると志ん生は、自分はこの耳で吉原の新内を聴いている。
ねえとはなんだ、べらぼうめえ、というわけ。

吉原では大正のはじめまではたしかに新内をやっていたと
林さんも言っている。
ところが吉丸という新内語りがあまりにうまかったせいかなにかわからないが
心中がやたらにふえるので
大門のなかへ新内流しがはいるのを禁止しちゃったわけで。
久保田だって、そんなことは百も承知にちがいないのに
何ごとにもことば短かで、委しい説明をしない、と。
宇野浩二が「ことばのケチンボ」と評していたと。
いっぽうの志ん生も、
早とちりだし、承知できないとなるといっこうに考え直さない。
それで気に食わないやつだ、と互いに思ったっきりになっていたと。

で、文楽ですが、「愛宕山」という噺で
江戸から来た幇間が旦那の尻押しをして京の愛宕山への山道を登るとこ。
そこをやったら、
君のは、足は疲れているけど手はくたびれていないね、
と万太郎がひとこと言った。
文楽が恐れ入って言葉にしたがってそこを工夫して直したので
すっかり万太郎に気に入られた、というのです。
3人ともに性格がよく現れたエピソードだと紹介されていて
面白いです。

毀誉褒貶あったけど、
国立劇場設立に向けての努力奔走は、
誰の目から見ても認めてよいと言われているようです。
それも、実業家として地位ある友人の林さんが間に立たなくてはならないように持っていってしまう、
というじょうずなやり方をしていたというから
当事者にしたら微苦笑、
やがて、しょうがないな、と納得する段取りのようで。

近くにいた人だから知っていること、
当時は知人同士あたりまえに言われていたからこそ、
時がたつとわからなくなる事情も
書き留められていて貴重です。
三隅一子さんのあだ名「御守殿」のほんとうのわけ。
権高な美人、というふうに解される向きもあるがほんとうは
河竹黙阿弥作『小猿七之助』に出る御守殿滝川からきたもので
身持ちに問題があったことを言うものだったと。
まあ当人を知らない人ばかりになったら
どうでもいいことになるんですけどね。

永井荷風が亡くなったあと、後始末に奔走して
『断腸亭日乗』を慶應義塾へ寄贈してもらう段取りをつけたのに
すっぽかされた、ってことなんかもあったそうです。

でも、あの戸板康二さんの才能を見抜いて
明治製菓の宣伝雑誌からスカウトしたのも万太郎だそうで。

演出で絶えず、雪降らしたり雨降らしたり
さみしいのが好きだった万太郎。

仲がよかった芥川龍之介に「嘆かひの詩人」と表現され、
水上瀧太郎に「情緒的写実」と指摘された「・・・・」という無言の嘆声を書かずにいられなかった万太郎の文学。
徹底的に「さびし好き」が直らなかったんです。
それが嫌いな人は万太郎作品が嫌いで、
それが好きな人は万太郎文学が好きなわけで・・・・・・・・・

久保田万太郎が好きでもきらいでも、
まわりにいたいろんな俳優や芸人たちがたくさん
入れ替わり立ち替わりでてきて
おもしろく読める本です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です