犬どろぼうを計画したけど

「犬どろぼう」をしなければならないのは
どんなときか?
確かに悪いことだけど
「邪悪」ではない動機として
どんなことが考えられるでしょうか・・

そんなのあるわけない!
という声も聞こえてきそうですけど
これが小学校中学年向けの本だということを
考慮に入れるとどうでしょうか?

犬どろぼうを計画する少女としては
正真正銘の真剣勝負なんですが
大人の感覚では、
ほほえましい面もある成り行きです。

家をなくして車で暮らすはめになった少女ジョージナが主人公。
アメリカが舞台。

職を失った中年男性が車で暮らさなければならないという
映画を最近見ました・・『ダブリンの時計職人』。
家を失った人が車で生活する、っていう境遇が
あるようです。
日本ではどうなんでしょうか。

ジョージナが盗んだ犬の飼い主の女性カーメラには
家族とあまり仲良くない事情があるのが垣間見えます。

なんとなく現れてジョージナを助けてくれるおじさんムーキーは
昔けがで手の指を2本失ったらしいし
家がなくて自転車で移動しながら暮らしているらしい。

この物語を通してわたしたち読者に伝わってくることは
少女が犬どろぼうをしたことが悪かったと反省するとか
謝礼金を目当てにするなんてたちが悪いとか
そういう教訓とかではないでしょう。

みんながそれぞれたいへんな境遇を背負って生きていることが
知らず知らずに少女の心に浸透していくんですね。

子どもなりに
それまで接したことのなかった種類の人たちと出会うことによって
いろんな人がいるんだと感じる。

それぞれの人が、違う形の思いやりを持っていることを感じる、
そういう物語なんじゃないかと思います。

おとなになっちゃうと麻痺しちゃう柔らかい吸収力で
相手のピュアな部分を、ジョージナ自身が引き出していく
っていうこともあると思います。

おとなになってからも、相手のいいところを出してもらえる
付き合い方をしたいな、と思わされます。

 

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