忘れていた遠い日のことを『電車にのって』

5つのおはなしの中のひとつ、「風」。

この絵の女の子が乗るブランコの縄の上のほう、
木の枝のところにいる人かげ。
幽霊じゃない。

こういう人かげが、だれにもあるのでしょう。
ずっとあとになって気がつく人もいれば
永遠に気づかないまま終わる人もいる。

人の一生は、始めがあって終わりがある。
そのあいだに、いろんないろんなことがある。
ただそれだけのことなんだ、って
気持ちがふわっと楽になる。

こういう「名作童話集」というような本って
どういうときに手に取るかなあ?
「ふとしたとき」としか言いようがないかなあ?
目的のない読書をしようと
フラッと本屋や図書館に寄ったとき?

なにげない瞬間に、
フッと、隣りにいる何か親しい存在を感じて
生きるのが心楽しくなる、
そんな気分を連れてくるおはなしが5つ、ならんでいる本です。

いやなことがあっても希望がないように見えても人は 『トムは真夜中の庭で』


他人から「かわいそう」「気の毒」と
思われる境遇であっても、
ぜんせんそうとはかぎらない。

これはそんなことを思うおはなしです。

来たくもない家に預けられていやいやながら過ごす少年トムでしたが、
いつしかその家から離れたくなくなります。

それは、ある夜、アパートのホールいちばん奥にあるドアを開けて
裏庭へ出るようになってから。
昼間はそんな裏庭があるはずはないのに・・・

きっかけになったのは、いつも数を打ち間違える古い大時計。
けど、ほんとうに打ち間違えていたのだろうか?
あるときは、13回打った。
それは、間違えたのではなく、
あまりの時間、13番目の時間がありますよ、
と言っていたんじゃないか、とトムは思いつきました。

あまりの時間って、どこに存在しているんだろう?

裏庭で出会った女の子ハティは、どうやら
両親を失った「かわいそうな」子。

挿入される古くから英語圏でみんなに知られているアイルランド民謡
「うつくしきマリイ・マローン」。
魚の行商をしていた美しい娘マリイ・マローンが熱病で死んでしまう内容です。

読み終えると、
人の心の中に生き続ける思い出というものの陰が濃くなります。
そうして、この世を形作っているのは、呼吸して生きている者だけではないんだなー
と確信し、そう思うことがほのぼのとうれしく感じられてきます。

イギリス児童文学作家・批評家ジョン・ロウ・タウンゼンドが
『子どもの本の歴史–英語圏の児童文学』で
「第二次大戦後のイギリス児童文学のなかから
傑作だと思われるものをただ一作だけ挙げろと言われるなら」
という仮定で挙げたのは
この作品だと「訳者のことば」で紹介されています。

ファンタジーが苦手なわたくしですが、
ファンタジーっぽく感じずに
先へ先へ読み進まずにいられない
謎に満ちていてそれでいて荒唐無稽でなく
人間の一生が描かれているおはなしです。

小学校生活最後の1年、つぎつぎ起こる「事件」 『チームふたり』


4年になってクラブを選ぶとき、
軽い気持ちで卓球クラブを選んだ大地。
でも、だんだん本気になってきた。
引退試合で県大会に進みたいと思ってがんばっていたのに
顧問の辻先生は、
大地を5年の純とダブルスで組ませた。
最初不満だった大地だけど、
素直でがんばり屋の純の姿に
教えられることが多くあることに気づいていく。

けれどもそんなとき、父さんが会社をやめなければならなくなって、
卓球をやってる気分じゃなくなった大地。
だって、給料がもらえなくなったらうちの家計が苦しくなる。
新聞販売店に働かせてもらえるように頼みに行く大地。

卓球が楽しい、試合に勝ちたい、なんていうのは、
自分に余裕のあるときじゃなきゃだめなんだ、と気づく。
自分がそうなってみてやっと
女子の卓球部員のルリが練習する時間がないって言ってた家庭の事情に
心がいくようになるのだ。

父さんはふさぎこんでてカッコ悪い。
けど、母さんは、いち早く立ち直ってこう言う。
「正しいとかまちがっているとか関係なく、どうにもならないことが起こる。」と。
だからといって、だれかを恨んだり文句を言ったりしていてもだめだ。
そういうとき、仲間と手をとりあってがんばるんだ、って。

「チームふたり」っていうのは、ダブルスを組んだ大地と純であり、
父さんと母さんであり、
苦しいことを乗り越える仲間に共通のきずなです。

自分が人の良いところを見るようになると
相手の人も知らず知らずのうちに自分を助けてくれている。
それはそのときには気づかなくて、あとから気づく。

生まれて12年、
他人の気持ちに思いをいたすことができるようになる
最初の心の成長物語かもしれません。

ねこは心の中でこんなにしゃべってる 『ちびねこグルのぼうけん』

農家の納屋でお母さんねこときょうだいたちとくらしていた ちびねこ。
名前はグル。
のどを「グルルル、グルルル、グルルル」って鳴らす音がとっても大きいから。

ある日、町のドラッグストアの家にもらわれていきました。
知っている人も話す相手もぜんぜんいないところで
新しいくらしが始まります。

さっそくグルは散歩にでかけたのはいいけど、
空き缶に前足をはさまれ、ぬけなくなって、
いたくて原っぱから帰れなくなりました。
夜になって、犬が近づいてきます・・・
けがをしたグルはどうなるんでしょう?

新しい家に慣れてきたと思ったら、
ある日、いらいらしたお店のおとくいさんに
店の前からおしのけられたり悪口を言われたりしたので
おこってその人をひっかいてしまったのです。
グルがいるならもう店に来ない、と怒ったおとくいさんに言われ
おじさんとおばさんは困っています。
グル、納屋に返されるピンチ。

ドラッグストアのおじさんとおばさんは、
はじめグルの話すことばをちっともわかってくれなかったけど、
グルは、一人ずつ、ねこのことばがわかる人に出会っていきます。
となりの家のピーター、散歩で出会ったスミスさん・・・

それに、アイスクリーム屋のおじさんも、どうやらグルの友だちになれそう。
なぜなら、紙コップにひとさじのアイスクリームを入れて
グルになめさせてくれたからです。
グルはおじさんの足のあいだを
出たり、はいったり、出たり、はいったりして
親愛の情を思いっきり伝えます。
アイスクリーム屋さんの車がまわってくる時間になると
だれにも呼ばれなくても、ちゃあんと道に出て待っているグル。
もう近所の一員です。

そんなある日の夜、グルの家、ドラッグストアに、
二人組のどろぼうがしのびこみます。
寝る前、グルを農家の納屋に返さなくてはならないことを
相談していたおじさんとおばさんは、
ドアにかぎをかけるのを忘れていたのです。
いつものように台所の赤いクッションの上で寝ていたグルは
あやしい足音で目をさまします。
大ピンチに遭うグル。
グルはどろぼうを追い払うことができるかな?
でも、ねこの力でどうやって?

誕生日の朝、舞い込んだ謎の封筒 『たんたのたんけん』

毎日が謎と冒険に満ちていころ、
不思議な出来事も、
ぜんぜん不思議ではなく、いかにもありそうな出来事でした。

誕生日に、自分の部屋に
謎の白い封筒がどこからか飛び込んでくることも、
ありえないことではないのです。
そして、中にはいっている地図にしたがって
探検の大旅行に出ることも。

たんたは、謎の地図を持って探検にでかけることにしました。
地図には「キリンのまつ」「ワニのいし」「ライオンやま」
などと書いてあって、矢印がついています。

探検の大旅行に出かけるには
必要なものをそろえなくちゃ。
必要なものを揃えるのもわくわくする大事な段階。

まずは帽子を手に入れようと帽子屋さんへ。
探検に合う帽子はどんなのがいいかな?
と考えて帽子屋さんに相談すると
帽子屋さんはいろんなことを教えてくれたり
話を聞いてくれたり。

店の人との対話のことばが、
読み応えがあると言おうか心にしみ入ります。
優れた小説は、会話が良く書けていることが不可欠ですが
このおはなしはその条件を満たしています。

帽子屋さんでは、この後たんたのパートナーとなって
いっしょに探検をする
「ねこよりちょっと大きいひょうの子」
と出会います。
彼はいったいどこから来た何者なんでしょう?

そして、一人と一匹が行くジャングルの先には
いったい何が待っているのでしょう。

人とのつながりが喜びをつれてくる 『ちばてつや自伝 屋根うらの絵本かき』

敗戦がわかって
旧満州の奉天で、安全な場所をさがして逃げる途中、
父と同じ会社で働いていた中国人、徐集川(じょしゅうせん)さんに
ばったり会い
物置の屋根うら部屋に住まわせてもらった。

この偶然がなければ、
ちばてつやさんが漫画家になることはなかったかも、と言う。

徐さんだってもし日本人をかくまっていることがわかれば
大変なことになるわけで、
命がけとさえ言える。
それでも、仲良くしていた日本人の家族をなんとか
逃してやりたいと、屋根うら部屋においてくれたわけです。

「日本人」とか「中国人」とか
一般名詞として全体を考えるだけだと反感を持つかもしれなくても
「ちばさん」「徐さん」という
知っているその人、となると、べつの感情がわいてきます。

ちばてつやさんは漫画家として有名な人ですが、
有名になるまでの、また、有名になってからのも、
いろんな失敗や苦い思い出や悔しい思い出も書かれていて、
そこがいいです。

冷たい人、騙すようなことをする人もいる。
いっぽうで、
連載が2つ重なって、一つを途中で人にまかせてしまったとき、
最終回にちばさんの名前も入れて
「あつくおれいをもうしましょう」と書いてくれた編集者の人の気持ちに
涙が出た、、という話がある。

そういう人のおかげで、漫画家ちばてつやさんがあるんだな、と。
有名な人でなく、わたしたちの人生のまわりにも、
いろんな人が現れては消えていく。

いやなことも多いけど、
喜びをもってきてくれるのはやはり、
人とのつながりなのかもしれないな。


にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

静かに淡々と信念を貫いている人

わかってくれる人にわかってもらえばいい、と思っても
つい他人の目を気にしてしまうのが凡人の定め・・

静かに淡々と信念を貫いている人っていうのは、
ふだんは目立たない存在なのです。

なぜなら、主張しないから。

派手な花を咲かすことも、
甘い実をつけることもないけれど、
いつも変わらずそこにある、
ものなんです。

そういう人にわたしもなりたい。

あ、『伝説のエンドー君』の「エンドー君」は今は
そういう人になっている・・のではないでしょうか。

 

日暮れまえの魔法の時間・・静かに力づけてくれる

人と比べてなんで自分ってこんなにだめなんだろう・・
と、落ち込むことはしょっちゅうある。
っていうか、つねにそうだ・・

そんな人を、夢の世界にふっと誘い込んでくれて
なんとなく力づけてくれるおはなしが
『とびらをあければ魔法の時間』
でしょうか。

「わたし」がいつも通るけど降りたことのない駅で
降りて歩いていると
「すずめいろ堂」という小さな家がある。
木の扉に
「注文の多い料理店」の山猫の店みたいな札が
かかっていて
<ためらいはいりません。すずめいろどきです。中へどうぞ。>
と書いてある。
中にはいると
言葉でなぐさめたりするのではなく、
動物たちがふつうに
「わたし」を迎えてときを過ごすのが
かえって心地よく感じます。

大きな字で、小学校1年生にも読める本です。
でも、ゲーテの詩のことばがなにげなく書かれていたりして
おとなはおとななりに味わえる面もあって、
静かに力を運んできてくれる、そんなお話。

で、表紙や本文の絵を描いている人が高橋和枝さんという人ですが
どうも見たことある絵だなー
と思っていたら、思い出しました。

以前に神保町の文房堂さんで見かけて
どうしても買いたくなって買っていた本
『くまくまちゃんのいえ』。
2015-02-18 001

2015-02-18 002

このくまくまちゃんの話も、
くまくまちゃんと
その家を訪ねる「ぼく」との二人(?)の関係が
自然で静かでゆっくりで
とても惹かれたのです。

二人の会話は「あまりはずまない」のです!
でも、「あまりはずまない」のは
悪いことではないんです。
気まずいとか つまらないとかいうことではないんです。
無理してしゃべることが快適なこととはかぎらない・・
そういう関係のほうが好きな二人もいる、
ってこと。

『とびらをあければ魔法の時間』の作者は
高橋さんではなく
朽木祥さんという方ですが
そういえばくまくまちゃんのおはなし読んだなー
と思い出すような似たところがあります。

おとなもたまにこんな童話・・いいですよ。
おやすみ前なんかに最適かも。