ゆめがかなったね。ぼくたちのこと忘れないでね。 『ぞうのオリバー』

サーカス団にはいる象たち。
10頭しか注文してないと言われ、
11頭目のオリバーは、ひとりぼっち!

犬のふり できますよ!
けど、えさがない。

馬はいりませんか?
きみ、ぞうっぽいけどね。

オリバーはいつも明るいんだ。

公園へ行き着いて、プランコ、シーソー、すべり台。
どうやってあそぶ?

子どもたちと、おとなになったら何になりたいか話し始める。
オリバーは、おどるのが大すきだから、
サーカス団にはいりたい!
って言って、おどり始めるよ。

おどりの上手な象がいる! って、大ぜいの人が集まってくる。

すきなことを一途に求めてる。

人生は生きるにあたいする。
っていう子どもの本の大事な点を
完璧にそなえたお話だと思う。

子どもたちがオリバーを送り出すときのことばが
冒頭のことば。

ゆめがかなったね。ぼくたちのこと忘れないでね。

シド・ホフさんの絵が希望を倍増させています。

「スコットランド最後のオオカミ、この石の近くで射殺さる」 『最後のオオカミ』

「最後のオオカミ」というタイトルだから、動物物語だと思うと、
少し違います。
主人公は、孤児の少年ロビーです。
ロビーは、1795年に亡くなったスコットランド人。

もともと父も母も知らず、
偶然保護してくれた2番めの両親とは
戦争で死に別れました。
ボニー・プリンス・チャーリーという
スコットランドの歴史上の人物が率いる反乱軍が
イングランドに進撃した戦いです。

自分も敵から逃れて山に潜んでいるときに
母を殺された子どものオオカミと出会い、
チャーリーと名付け、それから「孤児」どうし、いつも一緒でした。

チャーリーを犬と偽って海辺の町で暮らしていたある日、
立派な紳士と出会います。
その人がロビーとチャーリーを新しい天地へと導いてくれることになるのです。
実は彼は大きな船の船長なのですが、
そんなに親切なのは、彼自身、悲しい過去を抱えて生きているからでした。

その後、読者の想像を超えた困難を経て新しい天地に着いた一人と一匹に、
うすうす予想されていた別れのときがきます。
ロビーは、そのときのことを思い出すと何年たっても涙があふれる、
と後年書いています。

「書いています」というのは、
これは、ロビーが後年書いた遺言書にあった物語だからです。
その遺言書こそが、この物語だったのです。

アメリカに住む一人の女性が
最近になって自分の家で発見した一通の古い遺言書。
その中には、あらゆる形で戦争に巻き込まれ、
人生を変えられた大勢の人たちがいました。

『戦火の馬』や『世界で一番の贈りもの』のマイケル・モーパーゴが
「スコットランド最後のオオカミ、この石の近くで射殺さる」
という石に刻まれた文字から着想した物語です。

ロンドン動物園のオオカミの絵にまつわるお話として書かれたもので、
ある家系の祖先探しから始まりながら
戦争で傷つけられた人びとと動物の物語でもあります。

ロビー少年の生きる力と
良きものがどれかを判断するまっすぐな心に
感動します。

心がこもったおひなさま 『三月ひなのつき』

おひなさまを飾るなら、豪華なおひなさまがいい?
それとも手作りの質素なのがいい?
手作りがいい、って答える人が案外多いんじゃないかと思います。

大きくて値段の高いおひなさまももちろんいいですが。
飾られたおひなさまのお部屋で
家族や友だちどうしや近所の人どうし、
仲良く過ごすことが、いちばんだいじなのでしょう。

おととしの3月3日、よし子のお父さんは亡くなりました。

よし子とおかあさんの二人暮らしの家にあるのは
どういうおひなさまでしょう。
はじめは、おかあさんがお友だちに教えてもらって折った
おり紙のひな。
そしてその次は?

おかあさんが洋裁の仕事でお金を稼ぐようになって
上等なおひなさまを買おうと
デパートで選ぼうとする二人ですが、
けっきょく、買うのをやめました。
なぜかな?

実は、おかあさんは、むかし隣りに住んでいた人形作りのおじいさんが
気持ちをこめて作ってくれたおひなさまを持っていました。
そのおひなさまは、昭和20年5月26日の空襲で焼けてしまったのでした。
おひなさまを飾って見るたび、
ひとつひとつのお人形にこめられたおじいさんの気持ちを思って
育ってきたおかあさんでした。

おひなさまにかぎらず、身の回りにあるいろんなものを
そういう思いで使ったり見たりできると
物をやさしく扱って、おだやかにくらせるんじゃないかと思います。

豪華なおひなさまでなく、二人が選んだおひなさまとは?

絵は朝倉摂さんです。

日本の怪談はどの国のより群を抜いて怖い

古典をわかりやすく現代語にした本だろうなー
と思って読み始めると、
登場してくるのは、ファミレスでドリンクバーの
カルピスとメロンソーダを飲んでいる高校生男子。
次のコミケに出すもののアイデアがなく悶々としている。

それと日本の古典の真景累ケ淵とが
どうかかわってくるのか?
とにかくすでに24ページには、ページいっぱいに、
殺された按摩の宅悦が
恨めしそうにこっちをにらんでいる挿絵がはいっている。

いつもは訳者としておなじみの金原瑞人さんが、
昔から好きだという怪談話を
軽快に書き直してみせてくれているので、
「へーー、こういう話だったんだ~」と
どろどろした話なのに、
妙にすっきりとした気分になれます。

金原さんによると、日本の怪談は
どこの国とくらべても群を抜いて怖いようです。
その源流がこの累ケ淵をつくった三遊亭圓朝というわけです。

どうしようもない飲んだくれ男がおかす罪から始まる
長くおどろおどろしい悲劇でありながら、
細部を見てみると喜劇でさえある。
その、一見して矛盾しているけど
「そうかもしれねえなー」となぜか納得できる話の運びです。
人生そんなもんかもしれねえ、などと
したり顔をするつもりじゃないけど
悲劇と喜劇は背中合わせだって、思うことありますよね。

ストーリーで楽しむ日本の古典シリーズの20番目です。

ファミレスドリンクバー入り浸りの高校生3人(最初にいた1人に2人が加わり)は、
8月のコミケが終わって、
なっちゃんオレンジ・CCレモン・さわやか白ぶどうで乾杯している。
売れた冊数からして
「時給10円を切るな」という結果だったにもかかわらず
なんかおもしろかった、と言いながら。

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実を言うと、わたしは衰弱してきてるんだと思うの

おとな流に読める児童文学はたくさんありますが、
これも、とくに疲れたおとなにおすすめだと思います。

それぞれ違う生き物だけど、
それぞれの生き方で生きて、死んでいく。
何千年も前からそうやって生きてきた生き物たち。

農家の納屋でのくらし。
堆肥のにおい。
入り口にかかるクモの巣。

「実を言うと、わたしは衰弱してきてるんだと思うの」
って言うのは、ある生き物が自分の生を言ったことば。
生死にかかわる重大なことだけど、
同時にそれは、あたりまえのこと。

動物たちの毎日が描かれるファンタジーなんだけど、
人間という生き物として生きる自分に
置き換えて思うところが、たくさんたくさん隠れている物語です。

タイトルのシャーロットって誰?
それは、物語が始まって間もなく判明します。
まず、表紙をよくよく見つめるとわかる人もいるかも?

そして、シャーロットのおくりものって何?
この世でいちばんすばらしいものなのに、気づかないもの。

悲しいことがあったときや、
友だちがいない辛さに、
堆肥に身を投げ出して泣くウィルバーの姿なんか、
ほんとに、そんなふうに泣きたい気持ちでいっぱいになります。

このお話を読んでいると、おとなも子どもも、
こういうふうにして涙を何回流すかで、
それだけやさしくなっていくんだ・・
と、思わずにいられません。

ファンタジックな、動物と人間のお話として
四季の移ろいを感じつつ楽しく読めます。
そして、悩んだときに思い出されて
力になってくれるのでしょう。

辛いことがあったおとなと子どもには、
静かな生きる勇気をくれるお話です。


1952年の初版以来19か国で読まれているロングセラーだそうです。
19か国って、むしろ少ない気がする・・
挿絵は『しろいうさぎとくろいうさぎ』の人。

 

図書館に行き本を読むことで変わっていく春菜ちゃん

図書館に行って本を読むことを知らないままだったら
春菜ちゃんはどうなっていったのかな?

本の世界に夢中になって、
本の中の人たちの行動や考え方を知ることによって
自分の心が形作られ、
自信をもって進んでいけるようになった女の子、5年生。

佐久間さんという、平衡感覚を持った友だちが出てくる。
自分がいじめのターゲットになりそうだ、と気づいて
いっしょにいると巻き添えになるからって
春菜といっしょにいないようにする、って、
りっぱ。
将来先生になりたいから、この経験も役に立つ、って、
なるほどしっかりした5年生くらいなら、
そういう考え方をできるかもしれない。
佐久間さんも、春菜と同じように、
家庭的には恵まれていないことがにおわされる。

図書館の雑誌をだまって持って行っちゃったけど
やっぱり返しに来た、
さびしいとき猫をなでていた、竜司くんという子も描かれる。

『あしながおじさん』を100回読み返したい、っていう
春菜ちゃんをはじめ、決していいことばかりではない境遇の子たちに
がんばって生きてほしい、と思う。

子どもの目から見た物語としては、そういう感想を持ついっぽう、
大人の立場で読むと、
春菜ちゃんのお母さんもひとり親で育っていた、っていう辺りに
なんだかな~、という感想も持たざるを得ないノデアル。

 

人をばかっていうやつがばかだ

ひと夏を
小麦畑で働く人たちと過ごす女の子サマー。

いつもの生活では出会えない人たちと一緒にいると
今までの自分が、狭い枠の中しか
見ていなかったことを感じる。

だまされやすい人はだめな人だと思っていたら
「だまされやすくて何がわるい?
だまされなかったら楽しくないだろうに。」

と言われる。

また他の人は
「人をばかっていうやつがばかだ」
と言う。

こざかしくて要領のいい人の言うことが
幅を効かせがちな日常で
忘れそうになっていた価値観じゃありませんか。

「人をばかっていうやつ」の顔色を
うかがって生きなくたっていいんだ!
って、気づいて楽になろう、
子どももおとなも・・

 

むかし自分が持っていたピュアな心を発掘してくれる

むかしは「知恵おくれ」っていうことばがあったな。
その表し方は、その人に対する考え方の表れで、
そこには、蔑みの気持ちではないものがある気がします。
じっさいに障がいのある人に会うまえの子どものころに
この本を読んだような気がします。
障がいのある人への心って、案外こういうところで
形成されているかもしれません。
「知恵おくれ」の「じろはったん」(次郎八という人の愛称なのです)に、妙に偏見を持たずに
「こういう人」として純粋に接する人たちが
心地よいです。
このものがたりは、
疎開(の子どもたち)をいじめたり疑ったりする心も出てくるし、
戦死もある。
そういう醜い面、苦しい面も描きながら
人びとを押し流しつつ時は流れて
じろはったんも死ぬ。
人の生きる営みは、こうして絶えず続いている・・
っていうことを淡々としかも容赦なく
訴えかけてくるものがたりです。
じろはったんの村に疎開してきて
村の人びとやじろはったんに世話になった
小学生と先生の様子やのちに届いた手紙が
むかし自分が持っていたような気のするピュアな心を
思い起こさせてくれます。