その時代に生まれたばっかりに

かきつばたが狂い咲きしていた。

広島の町が爆撃されて間もないころの福山市で。

疎開中の「わたし」が知人のうちに泊まったとき、

離れの二階から紫色の花が見えた。

それは、8月15日に終戦命令が出て、

その翌日のことだという。

 

それより数日前、

そこかしこの店で軒下に古ぼけた家財道具を持ち出して

大安売りの札を出しているなか、

「わたし」は、この町も見納めだと思って歩いている。

強制疎開の命令が出たのだ。

 

途中で出会う旧知の人びとも

みんなあきらめ顔でぐったりした様子。

広島で爆撃にあい血だらけになって帰って来た人が

惨憺たる苦しみで亡くなった・・と話す人がいる。

そういう人たちの症状に

まだ病名も名付けられていなかったので

「義勇兵の病気」「不思議な苦しみをする病気」「治療法のない病気」

と言っていた。

そういう日々のなか終戦となり、

「わたし」は疎開仲間の家に泊まっていた。

夜明けごろ目覚めて窓から下の池を見たときに

狂い咲きしたかきつばたの横に

何か浮いているのを見つけたのだ。

人が水に沈んで浮き上がるのは

1週目か2週目にきまっていると

当時人びとは言っていたという。

7日前といえば

ちょうど福山の町が空襲を受けた翌日にあたるのだ。

空襲であわてて家をとび出して

一目散に走ってこの池のほとりまで逃げて来たのか。

やけどと思われる頬のきず。

詳しいことはわからない。

年は二十歳前後、

手拭地の寝間着に赤い伊達巻をしめていたそうだ。

 

かわいそうだとか、戦争は悲しいとかいう言葉は

ちっとも書いていないのに、

読者の心にグングン迫ってくるものがある。

登場人物の会話が

読者をその場にいるように感じさせるにじゅうぶんなくらい

細やかなんだ。

その二十歳くらいの子が引き上げられて

引き取り人が運んで行ったあとの

2ページにみたない記述がまた

この話を忘れがたいものにする効果抜群なんです。

 

感情的な言葉はぜんぜん含まれていなくて

徹底して乾いた文章なのに・・・だからこそ、

心に大きく訴えかけて印象を強くするんです。

この文体はすごいです。

読んで感じてほしいです。

井伏鱒二『かきつばた・無心状』

 

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