シュテファン・ツヴァイク「目に見えないコレクション」(『チェスの話』ツヴァイク短編集 みすず書房)
これは第一次世界大戦後、ドイツが疲弊していた只中のことです。
ひとりの美術商が、ザクセンにある田舎町を訪れます。
戦前に黙々と銅版画のコレクションを築き上げていたある男に会おうと。
つまり、そのコレクションが今では
おそるべき値打ちを持つようになったため、
買い叩こうというつもりを持って尋ねていったのです。
ところが、
当のコレクターの老人と、
最高の栄誉にも価する彼のコレクションとは
戦争前の状態のままではありえませんでした。
コレクターとしてこの上ないくらい純粋な愛を絵に注ぐ老人の姿は
現代(第一次世界大戦後ですが)の人びとが、
とうに忘れてしまったもののように思われました。
老人と彼のコレクションが置かれている現実を目の当たりにした美術商は、
田舎町を訪れた最初の目的を果たすことをやめて帰って行きます。
美術商が老人のもとから帰っていくに至り、
老人は少年のようにはずんだあかるい声で、
窓から身を乗り出して
『ごきげんよう、お大事に!』
とさけび、ハンカチをうち振るのです。
それは美術商にとって、
わすれることのできない光景となります。
どうか、この美術商が経験した稀有なストーリーを読んでほしいです。
現実が不幸に見えても、
人間は魂のうえで幸福になることができるのです。
抑制のきいた文体もなんだか好ましくて、
翻訳の大切さも思い返しました。