香り高く何度でも読み返したくなる小品集『東京日記』

内田百閒作『東京日記 他六篇』
1934年~1948年の間に発表された短い作品が集められた
珠玉のような文庫本。
特に「長春香」と「柳検校の小閑」が印象深い。
柳検校は、明らかに盲目の音楽家宮城道雄がモデルになっている。
内田百閒がその親しい交流を通して見聞きしたことを題材に
描かれているのだろう。
きっとある一日、こういう出来事があったのだろう
というような断片が細やかに描かれている。
描写が美しく、毎日の暮らしの小さなことや
心の動きがしみじみと伝わってくるのが
読み手に心地よく、
何度でも読み返したくなる味わいがある。
読んだ後、ずっと、作品中の空気が
自分の中に残るという感触がある。

語る価値のある何かをあなたも持っている 『TED TALKS』

自分なんか平凡で、他人に語れることなんか何もない、って思ってる。
普通の人の多くはそうですよね。
けど、自分の体験や洞察を過小評価しないで! ってこの本の著者は言っている。

魔法の杖があったらぜひ広めてみたいアイデアは何だろう?
そうやって自分を振り返ってみよう。

プレゼンとまでいかなくても、人の前で話すことは普通の人にもある。
同じ話すなら、少しでも聞く人の心に残るように話したい。

そのために一番大切なのは? っていうことを教えてくれたあと、
TEDでもっとも再生回数が多い登壇者のトークの構成を教えてくれる。

そして、つかみと締めを成功させる方法も
実例つきでおしげなく披露してある。

自分に合うところを取り入れて
自分のプレゼンを進化改善しようと思わずにいられなくなります。

著者は、私たち全員が互いから学ぶべき時代に突入したと言います。

オンライン動画によって、世界のどこにいても
自分の意欲次第で、良き教育者に出会うことができる現在。

自分の体験や洞察を他の人にわかるように説明しよう。
そうすることで、あなたのアイデアが他の人の中で
形を変えたり新しいアイデアになったり
世界観を広げたりする。

江藤さん、よくぞ訳してくださいました 『チャリング・クロス街84番地』

読み終わったとき、私、
「なんてこった。こんないい本があったのか!」
とつぶやきました。

最初はそれほど思い入れなく読み始めても
ページが進むにつれて
細部にまで興味がわいて
「んーーー」
「はあーーー」
「おおーーーー」
「そうかーー」
「ちょっとその本なに? 読みたい」
などと
心をかき乱される率が高くなっていきますね。

そして、江藤淳さんの翻訳がまったく
奥ゆかしく、上等で、
ゆったりと時間をかけて味わいたくなる
香り高い紅茶のようです。

ごちゃごちゃ言わず
これでこの文章を終わったほうがいいようにも思います。
けれど、もうちょっと紹介させてください。
なにしろ、
「いいなーー、忘れたくないなーー」と特に思った箇所だけでも
こんなにあったんですから・・・

アメリカ・ニューヨーク州に住む女性ヘレーン・ハンフさんと
イギリス・ロンドンの古書店「マークス社」の社員フランク・ドエル氏が
お客と古書店員というにとどまらない
心のこもった、手紙による交流を続けた
その手紙から成る本です。

それだけ聞くと、とくに面白そうでもないですよね。
ところがどっこい、ページの文字全体が力を合わせて
本好きな読者をどんどん引き込んでいきます。

「貧乏作家」ヘレーンは、
「苗字から察するに、あなたはウェールズのご出身?」
など、相手のことを
思いついたとき折々に少しずつ尋ねています。
そのゆっくりさが、
時間の流れがまだゆっくりだった時代へ思いをはせさせてくれます。

ヘレーンは、自分自身お金に余裕があるわけではない中、
まだ食料規制があったイギリスへ
缶詰や乾燥卵など貴重だった食べ物を送ってあげ、
受け取った本屋の人びとは、
感謝してみんなで分け合っていただき、
あるいは、何か特別なときのためにだいじにとっておいたりします。

この手紙の数々を読むのが
どうしておもしろいんだろう?
と、途中で自問自答しました。

少し昔の本好きの人たち、しかもアメリカとイギリスの人たちが
どういう交流をしていたのか見届けたいから?
出てくる作品そのものは
わたしなど英文学をよく知らない一般日本人だから
知らないもののほうが多いんだけれど
それでもなお納得できる、古本を買う人の心理ってものもあったりするので
その辺り楽しいですから。

例えば、「この本読んでみたい」と思う動機として
自分が好きな作家がよく引用している書物だから
「きっと気に入るにきまっています」とか。

それから、古本だけどきれいなので
だれも読んでいないんじゃないかと思うけど、
実はちゃんと読んだ人がいる。
それは、この本の中でいちばん楽しい箇所が何箇所か
パラッと自然に開くから、と。
まるで前の所有者の霊が導いてくれているようだ、と。

とにかくそれぞれの手紙に、ヘレーンとフランクの
飾らない心とか
本好きどうしのまごころとか
市井の人としての態度とかが
にじみ出ているのが
江藤淳さんの翻訳によって、ほんとうによく伝わってくるのです!
これは、ある程度文体が古風である必要がある! と
確信します。

「久しぶりのお便りなつかしく拝見いたしました。仰せのごとく、当方相変わらず当地にとどまりおりまして、いたずらに馬齢を重ね、ますます多忙をきわめておりますが、相変わらず貧乏暇なしです。」
とか。

紙の本で読みたい本っていうのを挙げるとき、
こういう本はその良い例になるんじゃないかなー。

 

絵がいい、文がいい、表紙もいい。

本を読む姿を描いたイラスト、っていうだけでも
本好きにはたまらなくいい。
表紙の色合い、デザイン、フォントも、
なんだか本好きを刺激する。
で、文が、穏やかで忙しそうでなくて、いい。

「という、はなし。」っていうのは、
筆者のお父さんの口ぐせだったとか。
気負いがなくて、これもいい。
大した話じゃないけど、ちょっとおもしろいでしょ?
っていう感じで。

昔の人たちって、ちょっと荒唐無稽に近いような話を
いっぱい持ってた、っていう気がします。
今になると、人権とか安全とかそういう観点から
言いづらいことやりづらいことが
昔は平気だったから。

電車が川の上の陸橋を渡るとき、密かに電車の外にぶら下がってる人がいる、とか、
今なら絶対非常停止ボタンで阻止されるようなことが起こっちゃったり。
(これはわたしの父の「という、はなし」)

いろんなことが違ってきたけど、
昔のほうが良かった面もあれば、
今のほうが良い面もたくさんある、ってことだな、と思う。
例えば、人権人権って言いすぎて、
言葉の面だけがんじがらめになって、
心では差別してるってこともある。
だけど、女の人が働くのがあたりまえになって
特別に能力のある女だけじゃなくて
普通の女も生きやすくなったと思う。
男の意識も変わってきましたしね。

なんか話がずれてきた。

『という、はなし』は、イラストが先に描かれて
そこへ文章をつけたものだそうです。
本好き、忙しがるのきらい、な人は
「そうだよね~、ほんとに」
と感じながら1ページ1ページ惜しみながら
めくって味わえる本だと思います。
絵を描いたフジモトマサルさんは、2015年に
亡くなったんですね。若すぎる・・
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書店で見て「買うしかない・・」と感じました。

吉田さんの名前は、ここでも見ました。↓↓
『罪と罰』を読まない』4人のやりとりがおもしろく楽しく読めました。

 

「不幸」に見える人の背後にあるもの

そんな境遇になりたくない、
なんて他人から思われてる人は、
そうなるまでに、いろいろあった。
この当然のことは、多くの人が見ようとしない。

そういう「背後にあるもの」を丁寧に見て
押し付けがましくなく、大げさでもなく、
ほどのよい筆致で描き出した
珠玉の作品が8編もはいっています。

荻原浩『月の上の観覧車』
それぞれ30~40ページくらいの作品なのに、
現在と過去と、その人の思いが溢れるばかりにはいっています。

苦しみに遭って、人はそれまでと変わります。
苦しみに勝ったのか負けたのか、それは、
どちらとも言えないものなのかもしれません。
勝ったからこう、負けたからこう、
とは言えない。
勝つのが良い、負けるのが悪い、
とも言えない。

とくに心に残った、忘れられない作品になるだろう2編はこれらです。

「上海租界の魔術師
1930年代の上海の、
ヨーロッパ建築のホテルや領事館が並び
人力車や2階建てバスが行き交う活気ある街のことを
語る祖父の楽しそうな様子。
さだまさしの『フレディもしくは三教街』を連想させます・・
そこに生きた青年だった祖父の人生。
ぐーたらと言われ続けた人の背後にあった時代の波と織り成された思い。
思いは、その人とともに彼方へ消えていく、
っていうことを知らされます。

「ゴミ屋敷モノクローム」
最初のほうのゴミ屋敷の描写はコミカルで笑えます。
ゴミ屋敷がみんなそうではないんでしょうけど、
こんな場合もあるに違いない、と思わせる、
ミステリーのようなお話。
ゴミを片付けていって最後に行き着いた謎の部屋とは・・

これを書こうと名前などを確認するためにページをめくっていると
自然と、ずっと読み続けてしまうくらい、
うまいんです。
そして、ある部分ではとつぜんに涙腺を刺激されそうになる
切羽詰まった描写があって。

短編なので、それまで思い込んで読んでいたことを
突然覆されて
「ええっっ!!??」
となることもあって
おもしろくて
8編読み終わるまで本を手放せなくなります。

 

「目に見えないコレクション」

シュテファン・ツヴァイク「目に見えないコレクション」(『チェスの話』ツヴァイク短編集 みすず書房)

これは第一次世界大戦後、ドイツが疲弊していた只中のことです。

ひとりの美術商が、ザクセンにある田舎町を訪れます。
戦前に黙々と銅版画のコレクションを築き上げていたある男に会おうと。
つまり、そのコレクションが今では
おそるべき値打ちを持つようになったため、
買い叩こうというつもりを持って尋ねていったのです。

ところが、
当のコレクターの老人と、
最高の栄誉にも価する彼のコレクションとは
戦争前の状態のままではありえませんでした。

コレクターとしてこの上ないくらい純粋な愛を絵に注ぐ老人の姿は
現代(第一次世界大戦後ですが)の人びとが、
とうに忘れてしまったもののように思われました。

老人と彼のコレクションが置かれている現実を目の当たりにした美術商は、
田舎町を訪れた最初の目的を果たすことをやめて帰って行きます。

美術商が老人のもとから帰っていくに至り、
老人は少年のようにはずんだあかるい声で、
窓から身を乗り出して
『ごきげんよう、お大事に!』
とさけび、ハンカチをうち振るのです。
それは美術商にとって、
わすれることのできない光景となります。

どうか、この美術商が経験した稀有なストーリーを読んでほしいです。

現実が不幸に見えても、
人間は魂のうえで幸福になることができるのです。

抑制のきいた文体もなんだか好ましくて、
翻訳の大切さも思い返しました。

 

いい作品を作り出した芸術家たちの側面

いろんなことに悩んだりするふつうの毎日。
ずっとむかしから人は、
こうやってちっちゃいことに苦しんで生きてきたんだろう、などと思う。
ちっちゃい自分の存在の中の、またまたちっちゃい出来事や人間関係にこだわりながら。
そういう生活の中で、
音楽や演劇や文学が励ましや癒しを吹き込んでくれます。
自分とはぜんぜん違う世界を表現した芸術であっても、
どこかで自分の存在を見直させてくれる部分があります。
また、そういう作品が自分にとっていい作品なんじゃないか、と思います。

で、いま読んでいる本は、
いい作品を作り出した芸術家たちと接して
直接話したり見たりしたことを集めた本です。
元産経新聞記者の人が著者。
小田孝治『ときめく美』ヒューマン
直接見聞きしたことを書いているので、
書かれた対象の人々の息遣いや人となりが伝わってきます。
書き手の姿勢がふつう(地位に対する特権意識がない)です・・

歌舞伎の幸四郎をじつはわたしはあまり好きになれないのですが、
これを読んで現代劇を見てみないと片手落ちだな~
なんて思いました。(今さら)

清元志津太夫は最晩年の舞台はわたしも見ました。
本文中に口調までところどころに写しているのが
微笑を誘います。

舞台照明の小川昇さんに
フランスの有名照明家ジャン・カルマンが弟子入りした話もいいです。
2日後に帰国する予定のとき、
小川さんの照明の舞台を見て、
頼み込んで弟子入りして一年間も修行したとのこと。
小川さんは
自分はただの裏方の一人で、弟子をとるような者ではないと断ったのを
カルマン氏があきらめずに頼み込んだのだそうで。
良い話です。

そういう逸話がいっぱい書かれてあって
いろんな分野の「求道者」たちの側面が
興味深いです。

 

『蝶々にエノケン』読んでます

おもしろい逸話なのでメモしました。

中山千夏 『蝶々にエノケン 私が出会った巨星たち』講談社

の中に紹介される逸話です。
1962年2月の有楽町芸術座の
菊田一夫作・演出  <<怪盗鼠小僧>>に
筆者が13歳で出演していたときの話。

当時、菊田が松竹から招聘した歌舞伎の

八代目松本幸四郎と、
二人の息子、当時の市川染五郎・中村萬之助が来ていた。

弟子をおおぜい連れていて、現代劇の俳優たちとは
何から何まで違っていて、とっても珍しかったという。
で、おもしろいのが、
まだ大学生くらいだった兄弟について、
態度といい周囲の扱いといい、
まるで王子様のようだったというのです。

それに対して、関西の中村扇雀(現・坂田藤十郎)には
そういう空気を感じることはなかったというのです。
そして、そのこと以上におもしろいのが、
扇雀の父の二代目鴈治郎の様子。

あるところで、ほろ酔いのおじさんから
「息子、扇雀をよろしゅう、おたのもうします。」
と、冗談で土下座されたという話。

この違いは、関西歌舞伎と関東歌舞伎の違いなのか、
一門による違いなのか、
人間のタチによるのか・・・
今もってわからない、
という結論? が書かれています。
実際、どれもが正しいのかもしれませんね~

二代目鴈治郎っていう人は、
逸話を聞いたり映画で見たりするかぎりでも
古い時代の大阪あたりの空気を
運んでくる人のように思います・・

王子様然とした態度 というのも貴重だし、
時代の空気を一身に醸し出しているっていう風情も貴重だな~。

 

あとから考えるからそう感じるんでしょうけど、

人間が画一的になってくると、

そういう「空気」を発散する人間も

いなくなってくるんだろうか・・?