『蝶々にエノケン』読んでます

おもしろい逸話なのでメモしました。

中山千夏 『蝶々にエノケン 私が出会った巨星たち』講談社

の中に紹介される逸話です。
1962年2月の有楽町芸術座の
菊田一夫作・演出  <<怪盗鼠小僧>>に
筆者が13歳で出演していたときの話。

当時、菊田が松竹から招聘した歌舞伎の

八代目松本幸四郎と、
二人の息子、当時の市川染五郎・中村萬之助が来ていた。

弟子をおおぜい連れていて、現代劇の俳優たちとは
何から何まで違っていて、とっても珍しかったという。
で、おもしろいのが、
まだ大学生くらいだった兄弟について、
態度といい周囲の扱いといい、
まるで王子様のようだったというのです。

それに対して、関西の中村扇雀(現・坂田藤十郎)には
そういう空気を感じることはなかったというのです。
そして、そのこと以上におもしろいのが、
扇雀の父の二代目鴈治郎の様子。

あるところで、ほろ酔いのおじさんから
「息子、扇雀をよろしゅう、おたのもうします。」
と、冗談で土下座されたという話。

この違いは、関西歌舞伎と関東歌舞伎の違いなのか、
一門による違いなのか、
人間のタチによるのか・・・
今もってわからない、
という結論? が書かれています。
実際、どれもが正しいのかもしれませんね~

二代目鴈治郎っていう人は、
逸話を聞いたり映画で見たりするかぎりでも
古い時代の大阪あたりの空気を
運んでくる人のように思います・・

王子様然とした態度 というのも貴重だし、
時代の空気を一身に醸し出しているっていう風情も貴重だな~。

 

あとから考えるからそう感じるんでしょうけど、

人間が画一的になってくると、

そういう「空気」を発散する人間も

いなくなってくるんだろうか・・?