ヘレーン・ハンフ 中央公論社 1984-10-10
読み終わったとき、私、
「なんてこった。こんないい本があったのか!」
とつぶやきました。
最初はそれほど思い入れなく読み始めても
ページが進むにつれて
細部にまで興味がわいて
「んーーー」
「はあーーー」
「おおーーーー」
「そうかーー」
「ちょっとその本なに? 読みたい」
などと
心をかき乱される率が高くなっていきますね。
そして、江藤淳さんの翻訳がまったく
奥ゆかしく、上等で、
ゆったりと時間をかけて味わいたくなる
香り高い紅茶のようです。
ごちゃごちゃ言わず
これでこの文章を終わったほうがいいようにも思います。
けれど、もうちょっと紹介させてください。
なにしろ、
「いいなーー、忘れたくないなーー」と特に思った箇所だけでも
こんなにあったんですから・・・
アメリカ・ニューヨーク州に住む女性ヘレーン・ハンフさんと
イギリス・ロンドンの古書店「マークス社」の社員フランク・ドエル氏が
お客と古書店員というにとどまらない
心のこもった、手紙による交流を続けた
その手紙から成る本です。
それだけ聞くと、とくに面白そうでもないですよね。
ところがどっこい、ページの文字全体が力を合わせて
本好きな読者をどんどん引き込んでいきます。
「貧乏作家」ヘレーンは、
「苗字から察するに、あなたはウェールズのご出身?」
など、相手のことを
思いついたとき折々に少しずつ尋ねています。
そのゆっくりさが、
時間の流れがまだゆっくりだった時代へ思いをはせさせてくれます。
ヘレーンは、自分自身お金に余裕があるわけではない中、
まだ食料規制があったイギリスへ
缶詰や乾燥卵など貴重だった食べ物を送ってあげ、
受け取った本屋の人びとは、
感謝してみんなで分け合っていただき、
あるいは、何か特別なときのためにだいじにとっておいたりします。
この手紙の数々を読むのが
どうしておもしろいんだろう?
と、途中で自問自答しました。
少し昔の本好きの人たち、しかもアメリカとイギリスの人たちが
どういう交流をしていたのか見届けたいから?
出てくる作品そのものは
わたしなど英文学をよく知らない一般日本人だから
知らないもののほうが多いんだけれど
それでもなお納得できる、古本を買う人の心理ってものもあったりするので
その辺り楽しいですから。
例えば、「この本読んでみたい」と思う動機として
自分が好きな作家がよく引用している書物だから
「きっと気に入るにきまっています」とか。
それから、古本だけどきれいなので
だれも読んでいないんじゃないかと思うけど、
実はちゃんと読んだ人がいる。
それは、この本の中でいちばん楽しい箇所が何箇所か
パラッと自然に開くから、と。
まるで前の所有者の霊が導いてくれているようだ、と。
とにかくそれぞれの手紙に、ヘレーンとフランクの
飾らない心とか
本好きどうしのまごころとか
市井の人としての態度とかが
にじみ出ているのが
江藤淳さんの翻訳によって、ほんとうによく伝わってくるのです!
これは、ある程度文体が古風である必要がある! と
確信します。
「久しぶりのお便りなつかしく拝見いたしました。仰せのごとく、当方相変わらず当地にとどまりおりまして、いたずらに馬齢を重ね、ますます多忙をきわめておりますが、相変わらず貧乏暇なしです。」
とか。
紙の本で読みたい本っていうのを挙げるとき、
こういう本はその良い例になるんじゃないかなー。