言葉が「もと」。自分がどこにいるかを知る〜読書からはじまる

長田さんの読書に関する本には、
なぜか惹かれる。
この本にも。
本は「はじまり」「もと」という意味を持っている。
言葉はいわば、本(もと)である。現実生活の友人はその人が生きているということが前提だが、
本は死んだ人すべての中から自由に自分で友人を見つけることができると
改めてかみしめる。

本好きなら、例えば正月がくるたび、ある本を読むと決め、
生活の中でぶれてしまった自分の心の置きどころを
認識し直すことができる。

ちょっと「え?」っていう内容もある。
けど、個人的には賛成。
ニンマリ。
本を1冊読もうと思ったら、その本をどの椅子で読もうかと考えられるなら、
いい時間をきっと手に入れられるだろう、というのだ。
いい椅子を一つ、自分の日常に置くことができれば、
何かが違ってきます、と。
とりもどしたいのは、日常の中で本を読むのはこういうことだという実感だと。
本を読むのは深呼吸。
本当にそうだ。
本好き仲間を増やすことは、
深呼吸できる人を増やすことだ。

子どもの本の周辺のことではこんな記述がある。

木のまわりをぐるぐる駆け回るうちに、トラがバターになってしまう。
そういう記憶をまざまざともっているのと、
まったくもっていないというのとでは、
世界の見え方はどうしたって違ってくる。
子どもの本というのは、
そこから世界がこんなふうに見えてくるという記憶をのこす本です。
遠眼鏡であり、同時に顕微鏡である本。

世界の見え方

これですよね。
本の大きな魅力って。

ロシア民話 「鶏の卵ほどの穀物」で、
なぜその穀物ができなくなってしまったのか尋ねられ
老人は答える。
「それは、人が自分で働いて暮らすということをやめてしまったからです」
民話なんて何のいまさら、と思うのは間違い。

読書というのは、実は、本を読むということではない!
みずから言葉と付き合うということ。
つまり、自分がどういう場所にいて、どういうところに立っているか知るということ。

本好きを増やすと
世の中がもうちょっと暮らしやすくなる!

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