高峰秀子さんの本はいくつか読んだことがあって
いずれもエッセイのような本だったと思うが、
これは
『人情話 松太郎』
という題名だった。
小説か脚本のような題名だし、なんだろう? と思って買った。
そうしたら、川口松太郎と著者の対話形式になった
聞き書きとも言うべき内容だった。
川口の話を江戸風の口調をそのままに記録したい、
という意図で成った産物らしい。
いろんな話の中で、
昭和21年に撮影された(途中までされた)
阿部豊監督、池部良の丑松、高峰秀子の志保の
『破戒』という幻の映画があったことに話が及んでいた。
60人余りのスタッフと俳優たちが、
長野県の善光寺に近い宿屋に陣取って撮影に精出した。
監督も相当なねばり屋だったが、
小原穣二カメラマンがそれに輪をかけたスゴイ人で、
「あの山の上に、ポッカリと白い雲が出ないうちは、カメラをまわさないからな」
とカメラの後ろに腰をおろして腕を組んだまま
ちっとも動かなかった。
何日待っても「ポッカリ雲」は出ず、
それを待っているうちに、
丑松と志保のラブシーンの背景になるリンゴ畑のリンゴが
一つ残らず地面に落ちてしまったんだって。
それから後のロケーションにはいつも
助監督さんが果物屋をかけずり回って買い集めたリンゴの箱が
現場にうずたかく積み上げられていて、
スタッフみんなは言うに及ばず、
白絣に木綿の袴の丑松も、桃割れ姿の志保も
撮影前の小一時間ほど、
リンゴを木にぶら下げる作業で忙しかったんだって。
そうこうするうちに、東京から
ゼネラルストライキだから即刻引き上げるように電話がはいって
『破戒』は立ち消えになってしまったのだそうだ。
見たかったねー、その映画。
監督あるいはカメラマンのこだわりようは、今もあるようで、
たしか、『武士の一分』で
敵討ちの場面のとき、
山田洋次監督が、
風が周囲のススキを揺らす、
その揺れ方が丁度いい感じになるまで撮影を進めなかったとか、
聞いた気がします。
画面の効果としてだいぶ違うんでしょうね。
全然揺れないのとか、大風すぎるのとは。
話者二人は、永年演劇界、映画界で
いろんなことをくぐり抜けてきた苦労人というべき人たちだけあって、
それぞれの話がおもしろいのと、
それぞれの生き方がにじみ出ていて
がんこさがまた気持ちいい域に達しているようです。