あなたは、他人にささえられていますか?
と聞かれたら、
「?」
と、一瞬答えにつまるかもしれない。
はっきりささえられている部分はここ、
と意識することは普段あまりないもんな。
理屈では一人で生きてるわけじゃないって思っても。
あとがきにある。
生まれつき目も見えず口もきけず、手も足も動かせない少年。
母はいつも話しかけ、
姉は絵本をたくさん読んでやり、
父や兄は外へドライブに連れて行ったりしていた。
少年が短い一生を終えたとき
家族は、
それまで少年をささえていたように思っていたが
自分たちがささえられていたことを知る、
と。
「口で歩く」タチバナさんは、
歩けないので、
長い足のついたベッドのようなものでたまに外へ出かける。
そうして、だれかが歩いてくるのがミラーにうつったら
その人に話しかけて車を押してもらって移動するのだ。
その日最初にミラーにうつったのは学生さんのようです。
「すみませーん!」
と声をかけると、初めはいつもそうであるように
びっくりした顔で立ち止まりました。
いやな悲しい思いをすることもあるけど、
出会いに感謝する良いこともある。
誰もが、まわりにいる大ぜいの人たちとつながって
ささえ合う輪の中で暮らしている。
足で歩いていると気付かないまわりのひとの心の声が
口で歩くタチバナさんには、
聞こえやすいみたいです。