ギュンター・グラスが詩画集『蜉蝣』を出版したことについて、
ある方から聞いて知りました。
そして、その方が朝日新聞に書いた文章を
読ませていただきました。
ドイツ文学について、昔かじったことがあるけれど、
もう縁もゆかりもなくなって30年も経ったので、
読んでもわかる自信なし・・。
でも、日本語なので、いちおう「読む」ことはできたというわけで。
『蜉蝣』のなかには、
「老人になって思い出す自身の過去への感慨がある」
と、書いてありました。
この「感慨」は、もっと詳しく言えば、
後悔というほどではないけど、
渋面になったり、
口元を軽くへの字に曲げたりする種類の
「感慨」なのかなー、と思います。
老人でなくても、わたしくらいでも、
これまで生きて来たなかにいっぱいあるその種の「感慨」。
だけど、そのときそのときで、一所懸命考えて判断してしたことだから、
そんなに自分を責めないでもいい。
現在の自分の身の日常茶飯事に触発されて
過去のたくさんの判断を
訂正しようか、と反省したりしなくていい。
自分の過去へのそういう対し方を
「哀愁」と思わなくたっていいじゃないか、っていう気がする。
そのあたりについて、
少しのお酒と少しの肴とともに、
あっさりと話し合えるような人と、ひととき過ごしたい、
なんて思わされる文章でした。