自分がどうしたいか、に素直に生きる

周りをきにしすぎて、自分がほんとうはどうしたいのかを
見失いきっている人、いませんか?
わたしがそうだと思いました、この本を読んで。

レストランなどにはいっても、
ついつい店の人の立場で考えすぎてしまって
なにか足りないものがあったり
失礼なことをされたりしても
しょうがないな、と胸にしまって
口に出さないです。
相手のほうを優先して、自分の気持ちは
我慢すればすむことだ、と思ってしまう。

何かを決めるとき、自分の感情はどっちを向いているかを
もっと見なければ。
迷うとき、「どうするべきか」でなく「どうしたいのか」に
もっと気づかなければ。

悩むのは、自分を愛し足りないから、
っていうところを読んだときは、
ちょっと泣きそうになりました。

わたしはいつも
「もっと相手が快適になれるようにできるはずだろうが、わたしではできない」
「もっとすごいことを相手は期待しているのだろうが、わたしではとても無理だ」
という思考回路で生きている。
いつも自分をだめなものと決めつけている。
いつも心の中で周りの人すべてにあやまっている。
だからいつも辛い。

このページはとくに良かったです。
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リラックスして「わ・た・し・は」と言う。
わたしがここに在る、ことを大切に思って
「いまに生きる瞬間瞬間の私」を愛する気持ちを持つのです。

そして、少しショックだけど、至極もっともなことに気付かされました。
どんなに善人であっても、罪悪感が強い人は幸せになれない!
ということです。
わたしは今まで、これにあてはまっていたような気がします。

また、相手に協力を求める、頼む、お願いする、助けを求める
そういうことをできるようにしたほうがいいんですね。
自己評価が低い人ほどそれができないそうです。
そうかもしれません。

今から、わたしも、もっと自分を愛し大切にして、
「どうすべきか」を基準にして我慢して生きるのでなく
自分がどうしたいか、に素直になって生きたいです。

 

君子の交わり淡きこと 『日本の鶯』


堀口大學聞き書き『日本の鶯』という本、読んでます。
関洋子さんのお仕事。
歌舞伎役者さんのことを書いた本を数冊、おもしろく読ませてもらってた方。

堀口大學って、萩原朔太郎のことを「萩原くん」って呼ぶような古い(?)人だったのか・・

最初のほうですでに何箇所も、共感したり、驚いたりする内容が多くて、
じっくり読んでなかなか前へ進まない、っていう状態です。

中で

「君子の交わり淡きこと水のごとし、
小人の交わり甘きこと醴(れい)のごとし」

という言葉が紹介されていて、「したり」なんて感じ入ったりしました。

佐藤春夫が、
太宰治に泣いて頼まれて
「東陽」という雑誌に原稿をとりもってやったとき、
「不変の敬愛」とか「命かけての誠実」とか「大恩人」とかいう言葉で
言ってこられるのを
小うるさく感じて挙げた古人の言葉なんだそうですが。

醴は甘酒のことで、
小人の交わりはベタベタと甘いばかりだと言っているそうです。
わかる~
とても賛成する~

佐藤春夫は太宰治を嫌っていたわけではなく、
むしろ文学青年として深く思いやり、
面倒をみていたことは確かだけれど、
ときにうっとうしかったというわけで。

だんだん人間をやってる期間が長くなってくると、
自分より年少の人々の言動がうっとうしく、青臭く感じることが
ままあります。
それでも、自分も以前はあんなふうに不愉快な代物だったんだろう、とか
あと十年二十年すれば彼らも相応に分別くさくなったりしていくんだろう、とか
思ったりしますけど。

大學さんと佐藤春夫も、二人でそんな話をしたことがあったと書いてあります。
というよりは、佐藤春夫が、太宰治のことを
不勉強で生意気で人の気心を知らない、ひとりよがりで人を人とも思わぬ、
そのくせ自信のまるでない・・・
とか言って止まらなくなっていたのを、
大學さんが上のような内容を言ってなだめる、という場面が紹介されています。

今の若いもんは・・は太古の昔からのくり返しなんですからねー。

で、
「君子の交わり淡きこと水のごとし」
には、はなはだ共感します。
比べるべくもないけど、
わたしも日常の付き合いはこれに限ると思っているほうです。

ちょっとベタついてくると、すぐに離れたくなるたちで。
そんなとき
「サヨナラだけが人生だ」
という言葉を心の中で勝手に誤用させてもらっています。
井伏ファンならだれもが知っているフレーズっていうのが
いくつもあって、そのひとつかな。
あと代表的なのが、
「ところが会いたい人もなく
阿佐ヶ谷あたりで大酒飲んだ」
っていうところか・・

名文句・名セリフは、
いろんな局面に応用できるのが名文句・名セリフたる所以ですね。

がんこさがまた気持ちいい

高峰秀子さんの本はいくつか読んだことがあって
いずれもエッセイのような本だったと思うが、
これは
『人情話 松太郎』
という題名だった。

小説か脚本のような題名だし、なんだろう? と思って買った。
そうしたら、川口松太郎と著者の対話形式になった
聞き書きとも言うべき内容だった。
川口の話を江戸風の口調をそのままに記録したい、
という意図で成った産物らしい。

いろんな話の中で、
昭和21年に撮影された(途中までされた)
阿部豊監督、池部良の丑松、高峰秀子の志保の
『破戒』という幻の映画があったことに話が及んでいた。

60人余りのスタッフと俳優たちが、
長野県の善光寺に近い宿屋に陣取って撮影に精出した。
監督も相当なねばり屋だったが、
小原穣二カメラマンがそれに輪をかけたスゴイ人で、

 

「あの山の上に、ポッカリと白い雲が出ないうちは、カメラをまわさないからな」

 

とカメラの後ろに腰をおろして腕を組んだまま

ちっとも動かなかった。

何日待っても「ポッカリ雲」は出ず、

それを待っているうちに、

丑松と志保のラブシーンの背景になるリンゴ畑のリンゴが

一つ残らず地面に落ちてしまったんだって。

 

それから後のロケーションにはいつも

助監督さんが果物屋をかけずり回って買い集めたリンゴの箱が

現場にうずたかく積み上げられていて、

スタッフみんなは言うに及ばず、

白絣に木綿の袴の丑松も、桃割れ姿の志保も

撮影前の小一時間ほど、

リンゴを木にぶら下げる作業で忙しかったんだって。

そうこうするうちに、東京から

ゼネラルストライキだから即刻引き上げるように電話がはいって

『破戒』は立ち消えになってしまったのだそうだ。

見たかったねー、その映画。

 

監督あるいはカメラマンのこだわりようは、今もあるようで、

たしか、『武士の一分』で

敵討ちの場面のとき、

山田洋次監督が、

風が周囲のススキを揺らす、

その揺れ方が丁度いい感じになるまで撮影を進めなかったとか、

聞いた気がします。

画面の効果としてだいぶ違うんでしょうね。

全然揺れないのとか、大風すぎるのとは。

 

話者二人は、永年演劇界、映画界で

いろんなことをくぐり抜けてきた苦労人というべき人たちだけあって、

それぞれの話がおもしろいのと、

それぞれの生き方がにじみ出ていて

がんこさがまた気持ちいい域に達しているようです。