このひとたちは生きている

文楽の演目で
「え~~そんなの納得いかない~」
「こんなだらしない人に同情なんてできない~」
と思うことは多い。

三浦しをん『仏果を得ず』
の主人公は文楽の大夫だけど
やっぱりそう思う演目がある
っていうことが書いてある。

小説だけど、
やっぱ、大夫でもそう思うのかー
そしたらどうやって語るんだろうー
と興味があった。

たとえば、
「心中天網島」の「天満紙屋内の段」のところに

そうだ、このひとたちは生きている。ずるさと、それでもとどめようのない情愛を胸に、俺と同じく生きている。文字で書かれ音で表し人形が演じる芸能のなかに、まちがいなく人間の真実が光っている。この不思議。この深み。

とある。

なるほど、人は理屈で解せないところだらけなのだ。
それに、きれいな部分ばかりじゃない。

自分もそういう人間だと思うと、気が楽になるし
義太夫に描かれる人びとにかえって共感する。

三浦しをんさん、若いのにこういう記述をできること、すごいな~。
文楽の世界を題材にするっていうのも果敢だし。
読者としては、こんなこともあるかもねー とおもしろく読める。

それに三味線と大夫が
稽古や舞台で火花を散らし合うようすから
芸の厳しさの片鱗も見えて
参考になります。

やらせてもらえる予定はない演目を
自分でひとり稽古しておいて
言われたときにすぐ、語ってきかせられるなんて
スバラシー と思いました。

お客さんが来ない時代を越えて生き続けているってことは
人間の姿をえぐり出して納得させるものがあるからですよねー。
良いものは残る、という大きな証しがここにひとつ。