鎌倉の片隅にひっそりと佇むビブリア古書堂

この紹介文の書き出し
「鎌倉の片隅にひっそりと佇むビブリア古書堂・・」
からすると、
ターゲットは本好きの大人・・
っていうイメージですが、
もとはラノベ方面の作家さんの作品だそうです。

でも、
出てくる人の描き方や
事件のなりゆきや
風景や
扱う古書の種類なんかも
どんどん読む人の興味を引いていくんです。

古本にひそむ秘密・・
内容の面もあるし、
本そのものにまつわる因縁もある。

時を経た本には、
ただ印刷された紙を綴じた物、というだけではおさまらない
不思議な物語が宿るようになっていくんです。

本好き・古本好きな人は往々にしてその部分も含めて
本が好きなんだと思います。
「書物狂」
「偏愛」
みたいなちょっとおどろおどろしい色彩を含めて・・

で、このお話は、
若い人びとの軽い日常のお話かと思いきや、
古本好きな、若いとは言い難い人びとをも
じゅうにぶんに楽しませてくれます。

わたしはまだ2巻目を読んでいるところなので
じゅうぶん語る資格はないかもしれませんが、
続けて読みたーい・・と
思っておりますです。

 

このひとたちは生きている

文楽の演目で
「え~~そんなの納得いかない~」
「こんなだらしない人に同情なんてできない~」
と思うことは多い。

三浦しをん『仏果を得ず』
の主人公は文楽の大夫だけど
やっぱりそう思う演目がある
っていうことが書いてある。

小説だけど、
やっぱ、大夫でもそう思うのかー
そしたらどうやって語るんだろうー
と興味があった。

たとえば、
「心中天網島」の「天満紙屋内の段」のところに

そうだ、このひとたちは生きている。ずるさと、それでもとどめようのない情愛を胸に、俺と同じく生きている。文字で書かれ音で表し人形が演じる芸能のなかに、まちがいなく人間の真実が光っている。この不思議。この深み。

とある。

なるほど、人は理屈で解せないところだらけなのだ。
それに、きれいな部分ばかりじゃない。

自分もそういう人間だと思うと、気が楽になるし
義太夫に描かれる人びとにかえって共感する。

三浦しをんさん、若いのにこういう記述をできること、すごいな~。
文楽の世界を題材にするっていうのも果敢だし。
読者としては、こんなこともあるかもねー とおもしろく読める。

それに三味線と大夫が
稽古や舞台で火花を散らし合うようすから
芸の厳しさの片鱗も見えて
参考になります。

やらせてもらえる予定はない演目を
自分でひとり稽古しておいて
言われたときにすぐ、語ってきかせられるなんて
スバラシー と思いました。

お客さんが来ない時代を越えて生き続けているってことは
人間の姿をえぐり出して納得させるものがあるからですよねー。
良いものは残る、という大きな証しがここにひとつ。